冬物語 〜12. 陽だまり〜












見上げた空は、ひどく青かった。

真夏の青さとは違う、冬独特の透明さで、空はどこまでも遠く澄みわたっている。
上空は風が強いのかもしれない。首が痛くなるほどに見上げても、雲一つ見えなかった。

枯れ色の混じった芝は、さらさらと乾いて、夏よりも強い堅い手触りを伝えてくる。
風向きを考慮して設計されたこの小さな奥庭は、日差しはふんだんに降りそそぐけれど、北風は厚い植え込みに遮られて、まったくというほどに届かない。
秘密の小部屋を思わせる静かな空間に一人きりで居るのは、嫌いではなかった。

自分のような境遇に生まれて、一人きりになれる時間を頻繁に得られるというのは、もしかしたら珍しいのかもしれない、とカナンは思う。
物語で見る限り、また外交で他国へ出かけた父や兄、臣下たちの話を聞く限り、王族というのは数多の人々にかしずかれ、どこへ行くにもお供がついて世話を焼くのが普通のように思われるのだ。
だが、この国ではそんなことはない。
建国から六百年ものあまり、事件らしい事件が王国内で起きなかったという大らかな気風があってのことだろうが、カナンは勿論、兄のリグナムも公務を離れると、一人で気軽に城内を歩き回っている。

(そういえば、近衛隊長の姿は、あまり兄上のお側には見かけないよな)

近衛副隊長が第二王子の護衛兼従者を勤めているように、近衛隊長もまた、第一王子の護衛兼従者の任を預かっているのだが、その割には、べったりと腰巾着のように近衛隊長がリグナムにくっついていることは、まずない。
役柄上、近衛隊長が主君から完全に目を離すことがあるとは考えられない以上、ある程度の距離を保って、傍に控えてはいるはずなのだが、カナンは彼の気配を感じることが少ないのだ。

(これは、僕と兄上の差なのか、セレストと近衛隊長の差なのか、どっちだろう?)

しばらく自問する。
が、あまり心楽しい回答は見つかりそうになかったので、途中でカナンは思考を切り替えた。

(でも、どう考えてもセレストは過保護すぎるんだ)

ぼやきながら、芝に軽くついた自分の手をちらりと見やる。
ルーキウス王家は幻獣使いの家系であり、戦士の家系ではないため、勉学の内容は大概が政治経済方面に傾き、男子であっても基本的に剣の使い方を習うことはない。
だから、成人しているリグナムでも、その手はごついという印象には程遠いし、ましてや成長期半ばのカナンの手は、さすがに女性のやわらかさはないものの細くて、お世辞にも逞しいとか強いとかは形容できない。
比べれば、王国で二番目の剣の使い手であるセレストの手は、元の骨格自体は整っているが、骨張って鍛え込んであることが一目瞭然である。
そんな手を持っているセレストが、カナンを庇護の対象としてしか捉えられないのは、仕方がないことなのかもしれない。
しかし。

(守られていたら、いつまでも強くなれないし、対等にもなれないじゃないか)

それとも、一生、肉体的にはひ弱なまま、守られていろとでも言うのだろうか。
セレストがそんな深いところまで考えているとは微塵も思わないが、しかし、セレストの態度は、自分に対し、永遠に無力な子供でいろという要求に時々等しい、とカナンは思う。
だが、そんなことができるはずがないのだ。
放っておいても・・・・どうやっても、時間が過ぎれば自分は大人になる。
世の中には、何も考えず、ただ流されるだけの大人と呼べない大人になる人間もいるが、自分にはそんなつもりはない。
明日より今日、今日より明日。
一日にほんの僅かずつであっても、真の意味で強くなっていきたい。
無知な子供のままでも、弱いままでもいたくないと心の底から思っている。

(・・・・別に、今はまだいいけどな)

子供扱いするのは、今はまだ、セレストの勝手だ。
目指す所までの道のりは遥かに遠くて、そこに辿り着くまでには、まだ多くの時間がかかるだろう。
でも、自分はセレストが子供扱いして気付かないうちに、その道を一歩一歩進んでゆく。
いつかその日に、突然気がついて慌てればいい、と心の中でこっそり思う。

──本当は、甘やかされるのも嫌いではない。
子供扱いは気に入らないが、優しくされると嬉しくなる。
セレストの気遣いが、自分に向けられていると感じると安心する。
ある意味、刷り込みのようなそれを否定する気は、カナンにはない。
それらは、『良くない』ものではなく、大切な・・・・幼い頃からの一番大切な感情だ。
それがあるからこそ、強くなりたいとも焼け付くように願う。
すべてにおける、大切な大切な原動力は、誰にも否定させない。

(そろそろかな)

真っ青な冬の空を見上げ、耳を澄ませる。
そうしてどれくらい待ったのか。
全力疾走というほどではないけれど、それなりに急いで走ってくる足音が遠くから近付いてきて。

「カナン様!」
「遅かったな」

風下に一ヶ所だけある、背の高い植え込みの切れ目から、護衛兼従者が走りこんできた。

「今日のヒントは簡単だったろう?」
「・・・・確かに簡単でしたが、ヒントの置き場所が問題でしたよ」

さんざん探してしまいましたよ、とぼやくセレストに、カナンは笑う。
内緒にしておきたい本当のお忍び以外では、基本的に部屋のどこかにヒントを置いておく。
それは従者への気遣いでもあるが、一種のゲームでもある。
ヒントの隠し場所、あるいはヒントそのものに工夫を凝らして、一体どれくらいの時間でセレストが自分を見つけるか、一人でこっそりと数えるのだ。

そして、今日のヒントは実に分かりやすく、メモを残しておいた。
白い無模様のカードに書き込んだのは、一言、『希望と慰め』。
ただ、置き場所だけ、少し意地悪をしてみた。

「やっぱり困ったか」
「ええ。どうするかひどく迷いましたが、これ見よがしにテーブルに置いてありましたし、他に考えられなくて・・・・。あ、今更、勝手に触ったとお怒りにならないで下さいよ」
「僕が仕掛けたのに、怒るはずないだろう」

そうですか?、と不審そうに言われたことは無視する。
そして、やはり気付かないんだな、とカナンは心の中で、自分の従者に対し、微苦笑を零した。

「それで、ここで何をしていらっしゃったのですか?」
「特に何も。空が綺麗だったから、見ていただけだ」
「空、ですか? 確かに今日は綺麗ですけど・・・・」
「うん。でも、さすがにずっと外に居たから、そろそろ指がかじかんできたな」
「え!?」

驚いて、気遣う目になったセレストに笑いかけ、カナンは立ち上がる。

「部屋に戻ろう。お前が来たということは、お茶の用意ができているんだろう?」
「ええ。今日のおやつは、リナリア様のベリータルトですよ」
「美味しそうだな」
「本格的な時期にはまだ早いんですが、一足早く、温室で収穫されたベリーが届けられたそうなんです。自信作だとおっしゃっておられましたよ」
「そうか。ますます楽しみだ」

他愛ない会話を笑顔でかわしながら、本宮へと庭園の小道を辿る。
その足元で、春告草の名を持つ白い花が、ほのかな冬の風に揺れる。

──今日のヒントは、『希望と慰め』。
そのヒントの隠し場所は、テーブルの上に置いた宝箱の中。
鍵のかかってない木箱の中、白いカードは飾り彫りの美しいペーパーウェイトで、幼い頃の宝物の一番上に留めてあった。

今はまだ、その意味に気付かなくてもいい。
気付いて欲しくないわけではないけれど・・・・・、気付いてほしいと思うけれど、今はまだ。
──けれど、いつか。

小部屋のような奥庭から一歩出ると、冷たい風が頬を撫でる。
髪を揺らすその風に、一度だけカナンは空を振り仰いで。
それから歩みを速めた。
















こちらは、和やかにはちょっと遠い陽だまり。
単純に甘いだけでない、小さな刺のある話、実は好きです。

幸せな二人が好きな方には御不満かもしれませんけど、たまには甘いお菓子とは一味違ったスパイス料理も美味しいものですよ(^.^)


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