冬物語 〜4. 雪曇り〜
雪雲と、雨雲とは一目で見分けられるものだな、と上空を見上げてカナンは思う。
ただ重苦しい濃灰色の雨雲と違い、雪雲は輪郭が曖昧にぼやけて、いかにも世界を覆い尽くそうとしているように見える。
昨夜降った初雪は、目が覚めた時には止んでいたが、雲を見ている限り、次にまたいつ降り出してもおかしくない。
そんな予感に、ふるっと思わず体が震える。
大晦日が近づいた今日、午前中一杯受けるはずだった今年最後の講義は、一年間真面目に勉強をしたご褒美だと、いつもの半分足らずの時間で終わってしまった。
余った時間をどうしようかと考えて、服を着替え、こっそり城を出てきたのは、ただの気まぐれ。
なんとなく、年の瀬を迎えた街を見てみたくなったのだ。
そうして来てみれば、案の定、市場には常には見ない量と種類の品物が並び、売り子たちが声を張り上げる中を、大勢の人々が忙しなく行き交っている。
きちんとした店舗ばかりでなく、年越しの必需品や、大勢の人出を見込んだ軽食を売る屋台も路地と路地の間にひしめいていて、賑やかなことこの上なかった。
「まるで祭りみたいだな」
呟いて、考えてみれば、年越しも祭りの一種のようなものだと気付く。
新しい年を迎えるために、家の内外をピカピカに清め、大晦日の夜には沢山のキャンドルの灯りと、柊のリースを飾って。
そのわくわくする感じは、たとえば秋の収穫祭が近付いてきた頃に、よく似ている。
そう思って、改めて見てみれば、行き交う人々の顔は、どこか忙しそうだが楽しげに輝いているようだった。
「───」
そんな街の人々の顔や、屋台や店先に並べられた品物を眺めながら、カナンは立ち止まっていた足を通りの中に踏み出す。
大掃除のための道具類、大晦日と年明けに食べる御馳走の食材、柊のリース、綺麗なキャンドル・・・・・。
それから、店先でも熱いスープをカップに注いで売っている食堂に、好みの具を切れ目を入れたパンに挟んでくれる屋台、スパイスを効かせた熱い果実酒を売る屋台。
年の暮れの市場に溢れている品物の種類は、到底数え切れそうにもなく、見慣れた市場が、どこか知らない街の通りのようにも思える。
それらの中で、一軒の屋台に、カナンはふと興味を引かれた。
頑固そうな壮年の店主が、携帯用の焜炉の上で、金網でできた蓋つきの片手鍋のような器具を揺すっている。
中に入っているのは、やや小粒の栗で、木の実の焦げる香ばしい匂いが辺りに立ち込めており、時折、栗のはぜる軽快な音が響く。
しばらく、その様子を眺めて。
「すまないが、一袋もらえるか?」
カナンは店主に声をかけた。
「まいど」
店主は短く応じると、金網製の鍋の掛け金を外して、こんがりと焼き上がった栗を紙袋に移す。
小銭と引き換えに、カナンは礼を言ってそれを受け取った。
そして、その場でさっそく一つ、栗を取り出して、よく焼かれてもろくなった皮を割り、口に放り込む。
「熱っ・・・・美味い!」
「そうかい」
「うむ。すごくほくほくしていて、甘いな」
「それが自慢さね」
率直なカナンの褒め言葉に、頑固そうな店主の顔もほころんだ。
そんな店主に、カナンは笑顔を返し、焼き栗の紙袋を抱えて再び通りを歩き出す。
そして、年越し用のキャンドルが沢山並べられている店先をちらりと見やり、姉上お手製のキャンドルの方がずっとセンスが良くて綺麗だ、と思った時。
「!」
不意に後ろから左肩を掴まれた。
「カナン様っ!!」
振り返るよりも早く、抑えた低い声で名前を呼んだのは、他の誰でもなく。
「セレスト」
「セレスト、じゃありません! こんな所で何をなさっているんですか!?」
「見ての通り、市場見物だが」
「そういう問題じゃないでしょう!」
叱りつけながらも、カナンの身分を周囲に気付かれてはまずいと思うのだろう、セレストの声は低いままだ。
普段の優しい声もいいけれど、この声もいい声だな、などと思いながら、カナンは肩をすくめた。
「今日の講義が早く終わったのは、別に僕が何か画策したからじゃないぞ」
「だからといって、どうしてお城の外に出られるんです!?」
「年の瀬の市場は、すごく賑やかだからな。ちょっと見物に行ってみようと思ったんだ」
しれっと返して、カナンは手にしていた焼き栗の紙袋をセレストに見せる。
「さっき買ったんだ。熱々で美味いぞ」
「・・・・・・カナン様」
「そう目くじらを立てるな。ほら」
紙袋の中から焼き栗を一つ取り出し、器用に皮を剥いて差し出すと、セレストは困惑した瞳でそれを見つめ、渋々と受け取って口に入れた。
「──あ、甘い」
「だろう?」
思わずもらした感想に笑って、カナンは歩き出す。
慌ててセレストも、その後に続いた。
「心配しなくても、市場を一巡りしたら帰るつもりだったぞ」
「それでも心配しないわけがないでしょう。早めに講義を終わったと教授に伺って、急いでお部屋に行ったら、もういらっしゃらなかったんですから・・・・」
「でも、その割にはすぐに僕を見つけたじゃないか。城を出てきてから、まだ一時間も経ってないぞ」
「そりゃ、カナン様がお行きになられそうな所くらい、分かりますよ。もう何年もお仕えしてるんですから」
「うん。だろうと思った」
ゆっくりと歩きながら、カナンはセレストに笑んだ瞳を向ける。
「お前はすぐに僕を見つけるから。だから、こっそり出てきたんだ」
「・・・・・そんな信頼のされ方をしても、困ります」
形容しがたいほどに複雑な表情になったセレストに、カナンは小さく笑って。
それから、ふと空に目を向けた。
「あ、また降ってきた」
「本当だ。カナン様、早く戻りましょう。こんな天気に外にいらっしゃったら、お風邪を引かれます」
「別に構わないさ。お前に看病してもらうから」
「それは嫌ですと、昨夜も申し上げたでしょう!?」
「分かった分かった。とにかく、この通りを端まで歩いたらな。そうしたら帰るから」
「絶対ですね?」
セレストは、諦めまじりの溜息を一つつき。
そして。
「セレスト」
「通りを歩く間だけですよ。逃げられては困りますから」
「・・・・・そうだな、掴まえてないと逃げるかもな」
「・・・・・カナン様・・・・」
「冗談だ。半分くらいは本気かもしれないが」
「カナン様」
「怒るな。大丈夫、今は逃げないから」
くすりと従者に笑いかけて、カナンは繋いだ手を握り返す。
「今日の昼御飯は何だろうな」
「それがお知りになりたければ、お昼に間に合うように城にお戻り下さい」
「だから、最初からそのつもりだったと言っているだろう」
「私は聞いてません」
「当たり前だ。こっそり抜け出したんだから」
「カナン様〜〜〜」
笑うカナンの金の髪に、白い粉雪がふわりと舞い降りる。
そんな二人の傍らを人々が忙しなく通り過ぎてゆき、街は屋台の上げる湯気と再び降り始めた雪に、ほんのりと白く煙った。
冬物語第4弾。
前回とは逆に、カナン様視点でシリアスっぽくしようと思っていたんですが、カナン様が御無体ばかりを仰ったので、えせラブコメになりました。
焼き栗は、子供の頃に七輪の炭火で作った焼き栗の記憶と、先日、伊勢神宮の目の前の屋台で買った焼き栗(天津甘栗にあらず)の記憶をミックス。
とりあえず、栗は美味いです。
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