冬物語 〜3. 初雪〜











夜更けに響く、小さなノック音。
まったく期待していなかったと言えば、多分、嘘になるけれど。








「カナン様・・・・」

開けたドアの向こうに立っていた、主君の姿にセレストは溜息をつく。

「消灯時間はとうに過ぎておりますよ、カナン様」
「いいから、さっさと中に入れろ。廊下は寒い」
「・・・・どうぞお入り下さい」

寒い、と言われてしまえば、どうしようもない。
溜息まじりに、セレストは立ち位置を譲り、カナンを室内に招き入れた。
そして、自分が羽織っていた厚手のカーディガンを脱ぎ、細い肩に着せ掛ける。

「セレスト」
「いつも申し上げていることですが、どうしても夜にお部屋から出たい時は、せめて上に何か着て下さい。そんな薄着でうろうろなさっていたら、すぐに風邪を引かれますよ」
「大丈夫だ。僕はそんなにやわじゃないし、万が一風邪を引いても、お前が看病してくれるだろう?」
「いけません。看病ぐらい幾らでもしてさしあげますが、それ以前に、私はカナン様が熱にうなされるところなど見たくありませんよ」
「いけずだなー」
「そういう問題ではないでしょう?」

言ったところで聞いてくれる相手ではないが、言わないわけにはいかない。
そう思いつつの言葉だったが、肝心のカナンは馬耳東風。
それよりも、と切り出した。

「何でこんな夜更けに来たのか、と聞かないか」
「・・・・・どうして、いらっしゃったんです?」

聞いたところで、返答に脱力させられるか困らされるか。
ロクなことになりはしないと分かっているのだが、言う通りにしないと途端にカナンの機嫌は悪くなる。
それを重々知っているセレストは、素直に問い掛けた。
対する、カナンの返答は。

「寒かったからだ」

たった一言、にっこりと笑って。
その内容と笑顔に、セレストは思わず眩暈を覚える。

「・・・・・カナン様」
「何だ」
「お部屋にお戻り下さい。お送りしますから」
「どうしてだ」

途端に、笑顔が不機嫌そうな色合いへと変わる。

「お前は嬉しくないわけか。僕が、わざわざ夜を忍んで逢いに来てやったというのに」
「嬉しくないとは、決して言いません。ですが、一昨日もいらっしゃったばかりでしょう。そう頻繁に夜、出歩かれるような真似をされるのは、カナン様の従者として看過できません」
「だから、お前が退出した後にしかしてないだろうが。どうして『従者』のお前が関係あるんだ」
「・・・・関係ない、と申し上げるわけにはいかないでしょう?」

やや苦い溜息をつきながら、セレストは諭すように答えた。
確かに今の自分たちは、単なる主君と従者という関係ではないし、カナンがその上下関係を取り払いたがっていることも知っている。
だが、勤務時間が終わったからといって、主君と従者という関係も、そこですっぱりと切り捨てるわけにはいかないのだ。
たとえ役目を離れたところで、セレストにとってカナンは大切に守りたい、そして無茶なことをしようとした時には、大人の立場で制止しなければならない存在だということは変わらないのである。

「────」

そんなセレストの言葉をどう受け取ったのか、不機嫌そうな青い瞳でじっと見つめていたカナンが、ふと溜息をついた。
そして、羽織っていたセレストのカーディガンをするりと肩から脱ぎ落とし、ぐいとセレストの手に押し付ける。

「カナン様?」
「帰る。僕はお前に逢いに来たのであって、『従者』に逢いに来たんじゃないからな」
「カナン様」
「部屋までは送らなくていい。今夜はもう出歩かないから、安心して眠れ」
「カナン様!」
「ではな。夜更けに邪魔をして悪かった」

表情を消した顔でそう言うと、カナンは伸ばしかけたセレストの手をするりと逃れ、ドアを出て行ってしまう。
ぱたん、と目の前で閉まった、自分の部屋のドアをセレストは、やや呆然として見つめた。

「───・・・」

手の中に残ったのは、ほのかなカナンの温もりを残した自分のカーディガン。
それだけだ。
追わなければ、と思っても、目の前で閉ざされたドアは思いの外、存在が重くて。
足が動かない。

あんな言葉を口にすれば、カナンが機嫌を損ねるのは分かっていたはずなのに。
一番大切な人相手に、言い方を間違えてしまった。

どうすれば、と思いながら、のろのろと顔を上げた時。
窓の向こう、視界の端を何かがかすめた。

「あ・・・・」

雪だった。
冷え込むのも道理で、今年最初の雪が窓の外をちらついている。

夜の闇を背景に、白い粉雪が風に舞うその光景を数秒間、凝視して。

「・・・・・カナン様」

セレストは部屋から駆け出した。







所々に明かりの灯された廊下を足音を立てすぎないように走り抜け、騎士団の宿舎を出たところ、回廊の曲がり角の向こうに見慣れた後ろ姿を見つけて、セレストは足を速める。

「カナン様!」

名前を呼ぶのと同時に、追いついて。
驚いたように振り返りかけた、細い体を両腕で抱きしめた。

「セレスト・・・・?」

少し戸惑ったように自分の名前を呼ぶ声が、たまらなく愛しい、とセレストは思う。

「申し訳ありませんでした・・・!」
「・・・・・・」
「本当に、嬉しくなかったわけではないんです。すみませんでした」
「・・・・・でも、困ったのも本当なんだろう?」
「それは・・・・・」

言葉に詰まったセレストに、しかしカナンは、ぎゅっと抱きしめられた胸にしがみつくようにセレストの背を抱き返した。

「分かっているさ。分かってて、僕もお前を困らせることを言った。だから、おあいこだ。けど・・・・」

少しだけ腹が立ったんだ、と続けたカナンの言葉は、悲しかったんだ、とセレストの耳には聞こえて。
セレストはカナンを強く抱きしめる。

「すみませんでした」
「僕は怒っているんだぞ」
「はい、分かってます」

少しだけど、と小さな声で付け加えながらも、カナンはセレストの腕を払いのけようとはしない。
誠心誠意謝れば、許してもらえる程度の諍いだとは分かっていたが、それでも突き放されないことに愛しさをも上回る安堵を感じて、セレストはカナンのさらさらとやわらかな髪に、そっと頬を寄せた。

「──カナン様」
「何だ」
「宿舎へ来て下さいとは、やはり私には言えません。ですが、今夜は冷えますから、このままお部屋までお送りしてもよろしいですか・・・・?」

言いながら、伝わるだろうか、とセレストは考える。
カナン相手に伝わらないはずがないと思いつつも、百分の一くらいの確率で、今夜は想いを無視されても仕方がないような気がして、じっと返事を待つ。
と、小さな声が腕の中から聞こえた。

「・・・・だから、言っただろう?」
「カナン様・・・?」
「今夜は、すごく冷え込むんだ。雪まで降ってくるくらいなんだぞ」
「──そうですね」

いかにもカナンらしい物言いに、安堵の吐息を交えて微笑し、セレストはそっと抱きしめていた腕を緩める。
そして、見上げてきたカナンの瞳に微笑みかけ、ずっと手にしていたカーディガンをもう一度、カナンの細い肩に羽織らせた。

「では、参りましょうか」

夜更けの回廊には自分たちのもの以外、誰の気配もない。
そのことを確かめて、セレストはカナンの細い手を取る。
冷たくなった指を包み込むように優しく握り締め、軽く促すとカナンは歩き出して。
カナンの部屋に辿り着くまでの間、二人は黙って歩いた。












「──お前が、こうやって部屋に来れば、僕だってわざわざ出歩いたりはしないんだぞ」
「それはそうかもしれませんが・・・・」
「身分だとか立場だとか。そうやってあれこれ余計なことを考え過ぎるから、僕を怒らせる羽目になるんだ」
「───・・・」
「・・・・そういう所が、お前らしいんだけどな」

カナンの声は、窓の外を舞う粉雪に溶け込むように静かで。
詰るでもなく呆れるでもなく、淡々と言葉を紡ぐ。
今は答える言葉も見つけられずに、セレストは抱きしめる腕の力を少しだけ強める。

「・・・・そろそろ寝るか」
「はい」
「今夜はここに居ろ。夜明けまででいいから」
「はい」

僕を怒らせた罰だ、と付け加えた声に頷いて。

「おやすみなさいませ、カナン様」
「おやすみ」

小さなキスを交わして、目を閉じる。
今は、寒い夜に互いの温もりを感じていられる、それだけでいいと思った。

















冬物語第3弾。
普通にラブい話になるはずだったんですが、セレストさんがいけずなことを言ったので、何故かエセシリアスに。
多分、BGMのB'zのミニアルバム『FRIENDSU』が悪かったのではないかと・・・・。
でもこのアルバムの「SNOW」、すごく好きなんですよ・・・・(-_-;)



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