冬物語 〜2. 柊〜
「ですから、どうしてこんな有様になるんですか」
「仕方がないだろう。柊の葉には刺があるんだから」
けろりとした主君の返答に、セレストは盛大に眉をしかめた。
目の前にある主君の両手は、小さな引っ掻き傷だらけ。中には赤い血がうっすらと滲んでいるものさえある。
見るからに痛々しい様子に、傷に触れないよう気をつけながら、セレストはそっとカナンの細い手首を取り、傷の状態を確かめた。
「刺は残ってないようですから、普通の消毒だけでいいと思いますが・・・・染みますよ」
「・・・・・染みない消毒薬はないのか?」
「ありません。怪我をしたら痛いのが当たり前です。体の危険信号なんですから」
「それもそうだな」
痛いから、動物は怪我を治そうと努めるのだ。もし大怪我をしても痛みがなく、そのまま動き回っていたら、即、出血多量で死ぬことになるに違いない。
至極分かりやすい理屈にカナンはうなずき、しかしセレストが手にした消毒薬と脱脂綿を目にすると、嫌そうに眉をしかめた。
「・・・・っ」
消毒薬をたっぷり含ませた脱脂綿を慎重に傷口に押し当てられ、カナンは小さく息を飲む。
が、子供の頃のように痛い痛いと大騒ぎすることはなく、黙ってセレストが手当する自分の手を見つめた。
そして、やがてすべての傷を消毒し終わり、セレストが包帯を手に取ったところで口を開く。
「別に包帯なんか要らないぞ。大げさすぎる」
「でも、傷口を晒しているのはよくありません。雑菌が入りやすくなりますし、第一、どこかに触れるたびに痛みますよ」
「それくらい、どうということはない。たかが引っ掻き傷だぞ」
「たかが、でも傷は傷です。化膿したらどうなさるんです?」
「夏じゃないんだ。そう簡単に化膿なんかするものか」
「したらどうされるんです」
「しない。とにかく包帯なんか要らないからな。邪魔だ。第一、包帯でぐるぐる巻きにされたくらいで、僕は大人しくなんかならないぞ」
「・・・・・・」
きっぱりと言い切られたカナンの言葉に、セレストはぐっと詰まる。
確かに、両手を包帯でぐるぐる巻きにしたところで、カナンが大人しく椅子に座っているはずがない。そもそも大した怪我でもないのだ。
「・・・・・仕方ありませんね」
口ではまず絶対に、奇跡に近い状態にでもならない限り、この主君には勝てない。
そう悟っているセレストは、溜息をついて包帯を薬箱に戻した。
「ですが、後からやっぱり傷が痛いとおっしゃっても知りませんよ」
「言わないから大丈夫だ」
「はいはい」
カナンの減らず口に溜息まじりに応じながら、セレストは並べてあった消毒薬や脱脂綿も片付け、薬箱の蓋を閉める。
それから、傍らのテーブルの上に置かれているものに目を向けた。
「しかし・・・・・そんな手を傷だらけにされてまで、リースをお作りにならなくても・・・・」
「いいじゃないか。面白かったぞ」
「面白ければ何でもいいというわけには参りません」
もはや諦めの境地になりながら、セレストは立ち上がって戸棚に薬箱を片付け──子供の頃から小さな生傷が耐えないカナンのため、部屋には薬箱が常備されていたりする──、続けて茶の支度を始める。
用意された湯が、まだ冷めていないことを確かめ、ティーポットに注ぎ、次いでティーカップも温める。
まるで有能な家政婦のようなその手際のよさを横目で見ながら、カナンは自分の手を目の前にかざしてみた。
改めて見てみれば、どの指にも、ほぼ満遍なく小さな引っ掻き傷がつき、手の甲にも右手に三つ、左手に二つのかすり傷がある。
もとより肌が白く指も細いだけに、赤味のさした傷は良く目立ち、確かに痛々しいと形容するのが似合う有様で、セレストが説教をするのは仕方がないこともなくはない。
「でも、初めてにしては綺麗に出来たと思わないか?」
「──それは否定しませんが」
溜息をつきながら、セレストは二客のティーカップに香りの良い茶を注ぎ、一客をカナンの目の前に置く。
そして今日のおやつであるタルトをも、その隣りに並べ、自分も席についた。
それから、改めて主従は今回の元凶である、カナン作のリースを見やる。
蔓を丸く編み、そこに柊の緑の葉と赤い実をいっぱいに飾って、細い金色のリボンで仕上げた小ぶりのリースは、確かに綺麗で可愛らしい出来だった。
そのリースをカナンは伸ばした指先で、ちょんちょんとつつく。
「何が難しいって、まず蔓を丸く編むのが難しいんだ。それから、バランス良く葉と実をアレンジするのもセンスが要るし・・・・。こんなものを姉上は、すいすいと幾つも作り上げられるんだからな。ちょっと不思議な光景だぞ」
「・・・・・・確かに・・・・」
ルーキウス王国の第一王女リナリアは、こういっては何だが、決して要領のいい女性ではない。それこそ取り落とした毛糸玉を廊下の端から端まで転がすなどということは、珍しくも何ともない日常茶飯事である。
だがしかし、一方で非常に器用なたちであり、お菓子作りは名人級、手芸も名人級なのだ。
その辺り、どこにどう相関性があるのか、ルーキウス城の七不思議の一つだった。
「おまけに、手早いのに怪我一つなさらないんだ。僕はこんな有様なのに」
「それは慣れではないのですか? リナリア様は毎年、この年越しのリースをお作りになっていらっしゃるんですし・・・・」
「かもしれないけどな。なんだか、僕は自分がものすごく不器用な気がしたぞ」
傷だらけの自分の手を見やり、カナンは小さく溜息をつく。
珍しい主君の溜息に、セレストはわずかに微笑して、そしてカナンの作ったリースにまなざしを向ける。
大晦日、新年を迎える前に家の戸口や室内に、魔を払い、幸運を招き寄せる柊のリースを飾るのは、古くからのこの地方の風習だった。
そのために年の暮れが近付くと、人々は年越しの準備のひとつとして、このリースを作る。更には親しい人同士、リースを交換して、互いの来年の幸運を祈りあうのだ。
「それでだ、セレスト」
「はい」
名を呼ばれてセレストが目を上げると、カナンは満面の笑顔を浮かべていた。
花が咲いたようなその笑みに、思わずセレストは内心で身構える。
カナンがこういう表情をした時、続く言葉は、約半分の確率でセレストを唖然、あるいは愕然とさせる。それはもう、長年の間に体に染み付いた反射行動だった。
「このリースは、おまえにやるからな」
「・・・・・はい?」
思いがけない、身構えた方向とは少々違う位置に命中したカナンの言葉に、セレストはまばたきする。
と、カナンは笑顔のまま続けた。
「この部屋に飾るリースは、姉上にいただいたからな。僕が作ったこれは、お前にやると言ってるんだ。きっと御利益があるぞ。来年のお前は幸運続きだ」
カナンに仕えている限り、気苦労続きはあってもそれは有り得ない、と反射的にセレストは思ったが口には出さなかった。
代わりに、言うべき言葉を探す。
「ですが・・・・せっかくお作りになったものですし、御部屋でお飾りになってもいいのでは・・・・」
「せっかく作ったから、だ。それとも、お前は要らないというのか?」
「そうではありませんけど、でも昨夜もキャンドルをいただいたばかりですし」
「あれは、姉上からの戴き物のおすそ分けだ。僕からのプレゼントじゃない」
「ですが・・・・」
「うるさいぞ。捨てる気がないのなら、黙って受け取れ」
「・・・・・はい」
否か応かの選択を迫られたら、うなずくしかない。
「ありがたくいただきます、カナン様」
まだ少し戸惑いつつも礼を述べたセレストに、よし、とカナンも頷く。
「リースを作るのは面白かったけど、やっぱり大変だったからな。多分、もう二度とやらないから、これは僕が作った最初で最後の年越しリースだ。大事にするんだぞ」
「はい。大事にします」
「ん」
機嫌よく応じて、カナンは冷めかかったティーカップを手に取った。
「カナン様、お茶を入れなおしますよ」
「別にこれでいい。お前が入れてくれたものだしな」
「そんな・・・・」
「セレスト」
「はい」
名を呼ばれて答えると、ティーカップを片手にしたまま、カナンはどこか悪戯めいた笑みを青い瞳に滲ませて、セレストを見つめた。
「忘れるなよ。何かをしろと言っているわけじゃないが、お前がしてくれたことやくれたものなら、それが何であろうと僕にとっては大切なものなんだ。お前が自分の価値を分かってないだけだ」
「────」
あっさりと言い切られて。
セレストは返答に困る。
「それは・・・・私も同じです」
「そうか?」
「はい」
「そうか」
小さく笑ってカナンは茶を飲み干し、カップをソーサーに戻す。
引っ掻き傷だらけの、それでも綺麗な動きを見せる細い指に、知らずセレストは見惚れた。
「セレスト、もう一杯、お茶を入れてくれないか」
「はい。それでは、少しお待ち下さい」
呼ばれて、はっと我に返り、セレストは冷めた湯を新しいものと取り替えてもらうために、ポットを取り上げて部屋を出て行く。
その後ろ姿を見送り。
残されたカナンはテーブルの上のリースを指先でつつき、小さく微笑んで、よく晴れた窓の外へと視線を向ける。
新年まで、あと七日。
小さなリースが飾られるのは、もうすぐのことだった。
冬物語第2弾。
今現在の私の手も、朝から晩まで書類を振り回しているせいで傷だらけです。
この数日間に年末調整の書類で切った傷は、左右合わせて6箇所(T_T)
年越しのリースは、オリ設定。現実世界のどこかにも、こういう風習があるかもしれません。
まぁ、しめ飾りと同じだと思って下さい。
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