Shine (3)
夜更けの街は静かだった。
城での騒ぎなどまるっきり知らぬ顔で、眠っているような街を見つめ、どの物陰にも何者かが潜む気配はないことを確認してから、セレストは細く開けていた窓のカーテンを閉めた。
用心のため、燈芯をごく短くした小さな燭台だけが照らす薄明るい部屋の中、カナンは質素なベッドで静かに眠っている。
素朴な気風で国民に愛されているルーキウス王家は、国王一家の日常生活も決して華美なものではなく、第二王子の私室も、豪奢には程遠い。
だが、家具や調度品は豪華ではないものの品のいい、温もりを感じさせる名工の作が揃えられ、寝具も清潔でやわらかな羽毛布団と、国の特産品である極上の羊毛の毛布が、安らかな眠りを約束している。
まかり間違っても、目の前の人物はこんな小さな宿屋の一室で眠って良いような存在ではないのだ。
この街に一軒しかない宿屋の客室は、素朴で穏やかな国民の気風のままに清潔に、こざっぱりと整えられている。庶民レベルで考えれば、決して悪い宿ではない。
けれど、カナンは。
「────」
込み上げるやり場のない思いに、きつく拳を握り締めながら、セレストは空いている方のベッドの端に腰を下ろし、眠るカナンを見つめる。
──どうしてこんなことになったのか、未だ把握できてはいなかった。
何故、カナンがクーデターなど疑われなければならないのか。
少なくともリグナムは、弟王子がこっそりと冒険者に身をやつし、ダンジョンへと出入りしていることは承知していたはずだった。
第一、あれほど仲の良かった国王一家が、家族ぐるみで溺愛しているといっても過言ではない末っ子が、よりによってクーデターを企んでいるなどと、誰に聞かされたところで信じるはずがないのだ。
となれば、可能性は一つ。
──何者かによる、暗示。
間違いなく、白鳳を通して王冠を盗ませたナタブームを操っていたのと同じ術だろう。
だが、ナタブーム一人ならともかくも、今度は国王一家も、百名を超える城兵たちも含んだ城全体、である。果たしてそんなことが可能なのだろうか。
(──本当なら、このままカナン様をお連れして逃げるべきなのかもしれない)
未だ見えない敵に感じるのは、これまで感じたこともない、寒気がするほどの危機感──圧迫感。
もし、このまま炎のダンジョンの奥に消えた白鳳と王冠を追って先に進めば、生命に関わる可能性も低くない。否、あからさまに危険だった。
白鳳を手先として使っていること、そして正気を失った城内……。これらのことを考え合わせれば、出てくる答えは一つ。
敵の狙いは、間違いなくカナンだ。
そんな敵の罠の真っ只中に飛び込んでいって、果たしてカナンを守りきれるか。
けれど。
(カナン様が承知されるはずがない……)
目の前で歴代の王冠を奪われ、何よりも大切な家族を操られたまま、国外に逃亡することなど、この誇り高い王子にできるはずがない。
ならば、従者としてセレストにできることは一つだけだった。
「───…」
質素なベッドでも、カナンは静かに眠っている。
こういった、贅沢に興味を示さず、与えられた物に文句も言わずに目の前のあるものを楽しむ性格は、間違いなく彼の美質だった。
「カナン様……」
かけがえのない、たった一人の主君。
何よりも大切にしている家族に疑われて兵を差し向けられ、こんな苦しい状況に追いやられている時でさえ、泣き言を殆ど口にすることなく、真っ直ぐに前を見つめようとしている。
……幼い頃から、手を焼かされてばかりだった。
他の者に対しては素直で聞き分けが良いのに、セレストに対してだけは遠慮のない我儘ばかりを口にして、次々に悪巧みや悪戯を仕掛け、無茶をして。
毎日、はらはらさせられっぱなしだった。
でも、自分が用事で城に上がれないと、小さな王子はすぐに機嫌を悪くして、拗ねて。
一度、自分が流行性感冒に罹り、熱が下がった後の用心も含めて十日間近く顔を出せなかった時は、こちらを見た途端に半べそになって転がるように飛びついてきて、一時間以上もしがみついたまま、離れようとしなかった。
セレストが病気になったと聞いて、心配で心配で夜も眠れないくらいになり、毎日大好きなおやつも我慢して「セレストの病気を治して下さい」と祈り続けていたのだと、苦笑したカナンの乳母に聞かされた時は、腕の中の小さな王子が可愛くて、妹と同じくらい……もしかしたらそれ以上に愛しくてたまらなかった。
──そう、本当に大切だったのだ。
すべてに最優先させて、毎日カナンのために走り回らされて。
それでも毎日、幸せだった。
「昔……覚えていらっしゃいますか。近衛隊への入隊と同時に、あなたの従者となることを陛下に命じられた時のこと……」
自分は十八歳、カナンは、まだ十歳を少し過ぎたばかりだった。
士官学校の講義が終わった後、いつものようにカナンの所へ行って、春からあなたの従者となることに決まりました、と告げた、あの時。
カナンは驚いたように青い瞳を大きくみはり、それから花が咲くように満面の笑顔になった。
──それが、自分が覚えている唯一の、カナンの本当に幸せそうな笑顔。
それまでも遊び相手として傍に居たのに、自分が従者となる、それだけのことに、あれほどまでもカナンは喜んでくれた。
……でも、それが最後なのだ。
以来、誰よりも近くに居たはずなのに、あんな笑顔を目の当たりにしたことがない。
「私は……何かを間違えているんですか? あなたが本当に望まれていることは……?」
分からない、とセレストは思う。
当たり前というべきか、改めて振り返るまでもなく自分はカナンに対し、いつも小言ばかりを口にしている。
だからといって、不当な説教をした覚えはないし、そのためにカナンの不興を買って遠ざけられたりしたこともない。
しかし、主君を諌めることばかり考えている、こんな自分が、カナンの望みに本当に応えたことがあっただろうか。
そして一見、自由奔放に好き勝手をしているように見えるカナンは、彼自身の本当に望むところを実現したことがあるのか。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
「……カナン様……」
唯一の名前を呟き、セレストは唇を噛み締める。
──服の上からでも分かる、細い肩。
抱きしめた腕に……胸に感じた、自分より少し高い体温。
「────」
ほんの数時間前、城から脱出して、この宿屋の一室に落ち着いた、あの時。
冒険者の装備を外した細い肩がたまらなく痛々しく、背負わされた重荷に折れてしまうのではないかという気がして。
少しでも支えたくて……自分が居るのだということを知って欲しくて、思わず従者としての立場も忘れて、華奢な身体を抱きしめていた。
抱きしめずには、いられなかった。
(俺は……)
この感情を何と言うのかは知らない。
長年抱き続けてきた、年下の少年に対する保護欲と変わりのない、その延長線上にあるものに過ぎないのかもしれない。
だが、大切なのは、そんな外側の形ではないのだ。
……初めて引き合わされた時は、カナンはまだ生後半年にもならない小さな赤ん坊だった。
国王譲りの青い瞳と、王妃譲りの金の髪。こちらを不思議そうに見上げた表情が、ひどく愛らしくて。
すべてはあの日から始まっていた。
「カナン様……。あなたのことは私が命に代えてもお守りします。たとえあなたが何とおっしゃろうと……」
先程、カナンはパートナーとして居られないのなら、要らない、と言った。
その真剣な声を忘れたわけではない。
けれど、自分にも決して譲れないものがある。
まったく身分も立場も違う自分を、対等なパートナーに望んでくれたことは、身に余る光栄だと思う。
だが、対等になどなれないのだ。命を預け合うパートナーとして扱うには、カナンは大切に過ぎる。
経験が少なくて頼りないからとか年下だからとか、そんな理由ではなく、この自分のためにカナンが傷つくことなど絶対に許せない。
それくらいなら、自分が傷つき、命を落とす方が遥かにましだった。
「きっと、あなたはお怒りになるんでしょうね。でも……それでも……」
自分にとって至高の輝きが失われるよりは。
ずっといい。
「────」
無言で伏せた目をゆっくりと開き。
セレストは愛用の長剣を、鞘から抜き払って膝の上に横たえる。
夜の街の静穏さを見る限り、今夜は、追っ手は現われないかもしれない。
だが、油断はできなかった。今、カナンと自分は王位簒奪を企んだ大逆人なのだ。
磨き抜かれた刃に、燭台の炎が明るく揺らめく。
その輝きを見つめ、そしてまた、静かに眠るカナンの寝顔を見つめ。
セレストは、夜明けを待った。
* *
「カナン様っ!!」
咄嗟に何を考えたわけでもなかった。ただ、条件反射で、体が動いていた。
「セレスト……!?」
驚愕に満ちたカナンの声が、耳を打つ。
大丈夫です、と言おうとして、声が出なかった。
胸のほぼ中央を、焼けるように熱い苦痛の塊が貫いている。
衝撃を受け流せず、崩れ落ちる一瞬に見えたのは、愕然と見開かれた青い瞳。
──カナン様。
そんな顔をなさらないで下さい、と言いたかった。
自分は不甲斐ない従者で、最後まで守りきることもできなければ、敵に奪われた大切なものを取り戻してさしあげることもできない。
けれど。
──辛い顔も、悲しい顔もあなたには似合わないから。
あの、遠い日のように。
夢の中で見たように、いつでも眩しい光の中で、世界中の誰よりも幸福そうに。
あなたが笑っていて下さったら、それだけでいいから。
どうしたら、あんな笑顔を見せてくれるのかさえ、ずっと傍にいたはずなのに分からない。けれど、それでも、他に大切なものなどないから。
──本当はずっと。
この手で、あなたの笑顔を守っていてあげたかった。
他の誰でもなく、この自分が。
今までも、これからも、ずっと。
あなたの傍で。
「……逃…げて…下さい……!」
それだけを口にするのが精一杯だった。
胸を貫いた敵の魔法力に、急速に全身が蝕まれてゆく。
意識が暗転する直前、最後に脳裏に閃いたのは、何よりも大切な存在の、笑顔ではなく……いま目にしたばかりの驚愕に見開かれた青い瞳。
少し心が痛んだ。が、それでもいいと思った。
他の誰でもない、何よりも愛しい色だったから。
──カナン様……。
どうしたらもう一度、あの笑顔を見せてくれるのかと。
遠くなる意識の中、そう呟いたのが、最後だった。
to be continued...
というわけで、セレスト編終了。
このまま話はカナン様視点の『ShineU』へと続きます。
この話は、作品としてはまぁそれなり、と思っていたんですけど、今改めて画面で読み返すと、もう少し書き込めそうな感じもしますね。
オフセで再録本を作る時には、またちょっと考えようかな〜。
こうしてファイル分割すると目立ちませんけど、原作の美味しい部分だけを拾っているので、ストーリーの流れもあまりよくありませんしね。その辺をなんとかしたいなぁという気分もないわけではないですし。
でも、とりあえず今回はこれでおしまい。
この後、『ShineU』も続けてアップしますので、よろしければ見てやって下さいませ〜。
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