- 12.もう一度だけ抱きしめて -
「鋼の?」
「あれ、大佐?」
久しぶりの再会は、初夏のイーストシティ駅のホームだった。
「もしかして同じ列車だった?」
「私は5つ前の駅からの途中乗車だ。ちょっとした視察が入ったのでね。君たちはセントラル経由か?」
「そうですよ。先週まで北部に行っていて、やっと帰ってきたところなんです」
「全然気付かなかったな。一等車両と三等車両じゃ仕方ねーけど」
「また列車ジャックでもあって、兄さんが騒ぎを起こしていれば大佐だって気付いてくれたと思うけど。今日は兄さん、ずっと寝てたもん」
「やれやれ、鋼のが大人しいのは寝てる時だけかね」
「あと本を読んでる時も、別人みたいに静かですよ」
「列車の中で、寝る以外に何しろって言うんだよ!?」
恒例の(少々一方的な)口喧嘩を始めた兄弟を一旦、放っておいてロイは傍に居た部下たちに幾つかの指示を与えて、一足先に司令部へと戻らせる。
そうしておいて、彼らの方へ向き直った。
「無益な喧嘩はその辺りにして、これから昼食でもどうかね、鋼の。どうせ食事はまだだろう」
「あ…うん。まだだけど……」
「いいよ、兄さん行ってきて。僕、先にホテルにチェックインしておくから」
「そうか?」
手を差し出され、エドワードは少しばかりためらうように下げていた旅行鞄を弟に渡す。
明らかに弟の方が腕力があるのにもかかわらず、こういう時以外、決して荷物を弟に預けないのは、自分の荷物は自分で持つという彼の意思の現れであるようだった。
「では、少しばかり鋼のを借りるよ。私もさほどのんびりはしていられないから、二時になるまでには食事を終えてそちらに帰そう」
「あ、いいですよ。僕のことはお気になさらず。それよりも兄さん、旅先だと中々まとな食事してくれないから、いっぱい食べさせてやって下さい」
「承知した」
「おいアル!」
「じゃあね、行ってらっしゃい兄さん」
ぐいぐいと背を押すようにして送り出されてしまえば、もう兄に成す術はないようだった。
エドワードは、気を静めるように乱暴に金の髪をかき上げ、溜息をついて傍らの大人を見上げる。
「で? どこに行くんだ?」
「近場ならどこでも構わない。君の希望は?」
「俺は食えりゃ何でもいいけど……」
ホームを歩き出しながら、エドワードは小さく首をかしげる。
「そういえば、駅の西に半年くらい前に新しくできたカフェ、あっただろ」
「ああ。ドロッセル通りのセルフィーユのことだろう」
「うん、そんな名前だった。ハボック少尉が美味いって教えてくれたんだけど、結局その時は行けなくてさ」
「なるほど。では、そこにしようか」
「大佐は行ったことある?」
「一度だけだ。味は悪くなかったが、司令部からだと遠回りになるからな。司令官が、そうそう昼休みごとに遠出するわけにもいくまい」
「そりゃごもっとも。でも、仕事をサボってなけりゃ、もう少しあんたには自由時間ができると思うけどな」
「そう思うのは、浅はかというものだよ、鋼の。私が事務処理能力を上げれば、その分、今にも増して大量の書類が執務室に流入してくるだけのことだ」
「……つまり、あんたのサボりは、部下たちに無駄飯を食わせないためだって言いたいわけか?」
「私一人だけ激務をこなす必要がどこにある? 現に、今の私の執務態度でも十分に司令部の業務は回っているだろう?」
「──ホンっト、最悪な司令官だな。中尉やハボック少尉たちに同情するぜ」
「彼らは私の下にいるからこそ、その能力を存分に発揮できているのだよ。私にとっても彼らにとっても、幸福この上ない関係だと思わないかね?」
「全然思わねえ」
他愛のない会話を交わしているうちに、改札を抜けた二人の足は駅前の大通りから駅西の通りへと向かう。
ちょうど昼休みが終わったくらいの時間帯である現在、通りに並ぶカフェやレストランは少しずつ空席が目立ち始めているようだった。
大通りから数えて3本目のドロッセル通りもまた、昼時の賑わいはピークを過ぎて、初夏の穏やかな日差しが、綺麗に敷き詰められた石畳を照らしていた。
「あ、あそこだ」
「ちょうど良く空いているようだな」
通りに面して、オープンカフェ形式で20ほどのテーブルと椅子が配置されている。それらのうち半分ほどある空席の中から、赤と白のカラフルな防水布張りの軒下にある席を、どちらともなく選んで腰を下ろした。
素早く寄って来た店員に、ランチメニューを二つと飲み物を頼んで、さて、と互いを見やる。
「改めて言うのもなんだが、久しぶりだな、鋼の」
「……三ヶ月半ぶりくらい?」
「それくらいになるか。前回は春の初めだった」
「……うん……悪い、と思ってる」
「何を謝るのだね?」
珍しくも、気まずげに目を逸らしながら告げられた謝罪に、ロイは面白げな笑みを薄く口元に刷きながら尋ねる。
と、エドワードが眉をしかめた。
「音信不通にしてたことだよ。……ちょっと三ヶ月は長かったよな。でも北部で芋づる式に情報を追いかけてたから、途中でこっちまで帰って来れなくてさ。……二ヶ月越えた辺りで、本当は司令部に電話くらい、しようかと思ったんだけど……」
「結局、しないまま帰ってきてしまったということか」
「──だから、悪かったよ」
顔をしかめながらも謝罪の言葉を口にするのは、東方司令部の面々が自分たち兄弟のことを気に掛けてくれていると分かっているからだろう。
ただ、何の繋がりもない大人たちから向けられる情愛に、未だ対応する術がよく分からず、また少年期特有の情愛に対する面映さも加わって、その気はなくとも、ついつい疎遠にしがちになってしまうのに違いなかった。
「皆、それなりに心配はしていたようだがね。君たち兄弟の場合は、便りがないのは元気な証拠だろうと彼らは思っているらしい。こうして戻ってきたんだ。旅の土産の一つ二つ、持参すれば短い説教で済むだろうさ」
「……やっぱり怒られるのは仕方ねぇのかなぁ」
「諦めたまえ。不精に対する罰だよ」
「ちぇ」
子供っぽい仕草で唇を尖らせ、片頬杖を付く。
と、お待たせしました、というウェイターの明るい声と共に、パスタランチが運ばれてきた。
「あ、美味そう」
本日のパスタは、取り立てて変哲のないポモロードだったが、新鮮なトマトの赤が食欲をそそる。
一目見て目を輝かせたエドワードは、さっそくフォークを取り上げて、いただきます、と食べ始める。
その様を見届けて、ロイもまた、自分のカラトリーを手に取った。
さほど味付けや盛り付けに工夫はないが、素材の持ち味が良く引き出されていて、塩の加減もいい。手軽なランチとしては、十分に美味といえる味だった。
「──なあ、大佐」
食事の最中、ほとんど無言で食べることに口を専念させていたエドワードがロイを呼んだのは、食後の飲み物が運ばれてきた頃だった。
今日のように陽射しが眩しいほどの日は、熱い茶は敬遠したくなったのだろう。頬杖をつき、一足早い気のする冷たいソーダ水に浮かぶ氷をストローでつつきながら、エドワードは瞳をグラスに向けたまま、言葉を紡ぐ。
「俺、ずっと考えてたんだけどさ」
「何をだね」
「──全部終わった後のこと」
ためらうように口にした、その言葉が何を意味するのか。
考えるまでもなかった。
「やっぱり銀時計は、返すべきなのかな」
「それを私に訊くのかね」
「────」
揶揄するでもなく、だが決して歓迎するわけではない口調を選んでロイが言い返すと、エドワードは困ったように眉間にしわを寄せる。
家族でもない相手に、自分の進退を相談するのは筋違いなことだと分からないほど、彼は愚かではない。
ただ、他に訊きたい相手も、話を聞いて欲しいと思う相手もいないのだということはロイもまた、承知していたから、それ以上の切り返しはしなかった。
「私に訊くのであれば、答えは一つしかない」
「……どうしても?」
エドワードがロイを見つめる。
明るい日陰の中で、光に透けると純金色に見える瞳は、今は深い琥珀色をたたえている。
その色をロイはまっすぐに見つめ返した。
「君は人殺しを商売にはしたくないだろう?」
「───…」
「軍人は、民間人を守ると同時に敵を殺すのが仕事だ。必要とあれば、私も部下たちも軍人は全員、ためらわずに引き金を引く。相手がたとえ女子供であっても、武器を手にして向かってくれば容赦はしない。戦場では綺麗事は通用しない。やられる前にやる、それができなければ一日たりとも生き抜けない」
まばたきすらせずに、エドワードはロイの言葉を受け止める。
そして、最後まで聞き終えてから、静かに琥珀の瞳を伏せた。
「──やっぱり、駄目なんだ?」
「私は最初からそう言っている。君が戦場に出て、大量殺人機械になりたいというのであれば、話はまた別だが」
「ひでぇ言い方」
「真実だ」
「だったらさ。……あんたの方も、全部終わったら?」
その問いかけは、ロイをしても少しばかり沈黙させた。
エドワードの手元のグラスの中で、からりと音を立ててソーダ水に浮かんだ氷が位置を変える。
「それはまた、その時の話になるだろう。そうなった時に自分がどうなっているか、私にも予想がつかない。君のこととなれば尚更だ」
「でも、やっぱり道は交わらないだろうって思ってる? 平行線は平行線だって。立ってる次元が違うって」
「ああ」
「俺が、あんたの隣に立つことは有り得ない?」
「君がためらうことなく他人の命を奪えるようにならない限り、私は君を傍には置かないよ。敵に情けをかけるような部下は、危険なだけで何の役にも立たない」
そればかりは真実だったから、ロイはうなずいた。
「──そっか」
溜息をつくようにエドワードは呟き、一口、ソーダ水を含む。
それから短い沈黙を挟んで、再び口を開いた。
「じゃあさ。もう一つだけ訊くけど。また、あんたの目の前で俺が怪我しそうになったら……あんたはどうする?」
その問いかけが、何を振り返ってのことだったのかは考えるまでもなかった。
「難しいな。状況による」
「たとえば?」
「弱みを他者に知らせるわけにはいかない」
「────」
鋼の錬金術師に対して後見人の立場を保有し、敬語を使わず奔放に振舞うことを許している。それだけのことですら、特別に目をかけていると周囲には受け取られているのに、ましてや身を呈して庇うほどの存在だと思われるのは論外だった。
政敵にそう思われたら最後、エドワードもロイも、共に危険に晒される。
それだけは絶対に避けなければならない事態だった。
「……じゃあ、周囲に目撃者も、他にあんたが庇うべき相手も誰もいなくて、たとえ受身に失敗してもお互い、重傷にはならなさそうな平坦な場所だったら?」
「迷いすらしない。危ないと思った瞬間、反射的に手を伸ばしているだろうな」
「本当に?」
「あの時もそうだっただろう?」
「……そっか」
ロイの答えを聞いて、仄かに小さくエドワードが笑う。
「だったら、いいや。それで」
「鋼の?」
「あのな、大佐。俺も同じ事するから。お互いのしなきゃならない事の邪魔にならないような状況だったら、俺もきっと反射的にあんたこと、庇うと思う。──それで……、それだけで、いいよな? 俺もあんたも……」
決して邪魔をしない、邪魔をさせない。そんな針穴ほどに小さく狭い枠組みに限った中で、そうっと大事に想い合うくらいは。
千分の一、万分の一に限った状況が揃った時だけ、自分に嘘をつかないことくらいは。
この決して結ばれることのない、未来永劫、二人が共に在ることは叶わない、恋とは呼べないような恋を自分たちはしてしまったのだと分かっている。
けれど、それでも。
それくらいなら許されるだろう?、と真っ直ぐな琥珀の瞳がロイを見上げる。
──それで、この恋は十分に満ち足りるだろう?、と。
「ああ、そうだな」
金を秘めた琥珀の眩しさに小さく目を細めながら、微笑してうなずく。
と、エドワードは、おそらくロイが見る初めての笑顔で。
笑った。
「俺さ、あんたを好きになったこと、後悔してないよ。色々考えたし、苦しいばっかで辛かったけどさ。この先、どんなに悲しいことがあっても、やっぱりあんたのことは好きだと思う」
「私もだよ。多分、この命が尽きるまで君のことは想い続けるだろう」
「うん」
うなずいて、エドワードは十字路で立ち止まる。
「俺、ホテルこっちだから」
「ああ。アルフォンス君によろしく伝えてくれ」
「分かってる。後でアルと一緒に司令部行くから、中尉たちに俺たちが戻ってきたこと言っておいてくれよな」
「分かった」
「じゃあな」
軽く左手を上げて、身を翻すように角を曲がり、カーブした細い通りの向こうに小柄な後姿が消えてゆく。
それを最後まで見送ってから、ロイもまた再び歩き出す。
───君だけを愛している。
運命の悪戯のように、行く末のない恋をした。それは確かだ。
だが、行く末がないからといって、光がないわけではない。
決して触れることが叶わなくとも、目を上げればそこには眩しい金の輝きがある。
そのことを、何にも替え難いほどに幸せだと思った。
end.
というわけで完結。
苦しくても報われなくても、幸せな恋。
これで閉幕です。
お付き合い、ありがとうございましたm(_ _)m
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