- 06.時間よ止まれ、永遠に -
「よう、大佐」
あまり愛想のない、むしろ不機嫌にも聞こえるような声で、挨拶とは呼びにくい挨拶を口にしながら、こちらが許可を出すよりも早く執務室のドアから小柄な少年が入ってくる。
そのまま真っ直ぐに執務卓に歩み寄り、ほらよ、とばかりに愛想のない仕草で手にしていた書類を差し出した。
「今回はどこへ?」
「中央よりの西部と、南部もちょこっと」
「そうか。何か面白いものは見つかったかね」
「あんまり。どれもこれも、幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってとこかな」
「ふむ。まぁ、そんなものかもしれないな。人口に膾炙(かいしゃ)する噂というのは大概、尾びれ背びれが盛大にくっついているものだ」
受け取った報告書をぺらぺらとめくって簡単に目を走らせ、それから、改めて目の前の相手を見つめる。
と、愛想のない少々生意気そうな表情の中で、光に透けるとフェアゴールドに輝く琥珀色の瞳だけが、こちらの反応を窺うかのように、かすかに揺れているようにも見えて。
相変わらずだな、と思う。
軍が嫌いだからなのか、そこに属している自分の現在に葛藤しているからなのか、あるいは全く違う理由からなのか、彼は一番最初から、少しばかりこの自分と距離を取る態度を崩そうとはしない。
時間の経過と共に、東方司令部の他の面々とは親しくなっているのに、自分に対してだけは口は減らないし、素直にこちらの忠告を聞き入れたためしもない。
けれど、そのくせ。
威勢よく言い返してそっぽ向いた後、タイミングを見計らって振り返ってみると、慌ててこちらを窺っていたらしい視線を逸らして、不機嫌な表情を作り直したりするのだ。
正直、そんなところは、ひどく可愛いと思う。
ただ、もう少し異なった種類の可愛らしさを引き出す術も知っていたから、何気ない風を装って切り出す。
「そういえば、鋼の」
「何だよ」
「十五歳になったのではないか? 今回の旅の間に」
そう確認するように問いかけると。
琥珀色の瞳をみはって、彼はその瞬間、ひどく無防備な表情になった。
「私の記憶違いだったか? これでも記憶力には自信があるんだが」
「……あ、…うん。そうだけど……」
「そうか。それなら少し遅れたが、私からも言わせてもらおう。十五歳、おめでとう」
何と応じれば分からない、という様子で二度三度まばたきをして。
ふいと視線を逸らす。
「別に……十四から十五になったからって、何か変わったわけじゃねーし。何もめでたくなんか」
「この世に生まれて、一年一年ちゃんと生きているというだけで十分素晴らしいと、私は思うがね」
琥珀色の大きな瞳が、再びこちらを見る。
こちらが執務席に腰を下ろしているため、目の高さはほぼ同じで、こちらの背後にある窓からの外光に透けて金に揺れる瞳が正面にある。
瞬きをするたびに仄かに輝きの変わる、琥珀とトパーズでできた万華鏡のようなその色合いは、何度目にしても見飽きるものではなかった。
「──なんか、あんたの言い方って、いつもずるいよな」
「どこがだね?」
「あちこち、色々」
「ふむ。まぁ私は、少なくとも十四年分は君より大人だしな。悔しいと思うのであれば、君も早く大人になりたまえ」
「……その言い方も、何かムカつく」
そういう彼の顔は、まったく十五歳の少年のものだった。
眉をしかめ、拗ねたように口を尖らせている様子は、部下たちが何かにつけて彼ら兄弟を構う理由を憶測するにも十分であって。
自分もまた、笑みを誘われる。
「せっかくだ。何か欲しいものはあるか?」
「……大佐が何かくれんの?」
いらない、という声が聞こえてきそうなくらい露骨に、しかめっ面になる。
「そう言わずに、ねだってみればいい。こう見えても高給取りだぞ」
「あんたみたいなのは給料泥棒って言うんだ」
「何を言う。私の有能さからすれば安すぎるほどだ」
「雨の日は、しけたマッチのくせに」
「あいにく厄介事の処理能力に天候は関係ないのでね」
本当の事を言えば、雨天であっても焔を生むことなど容易いのだが、今はそれを口にする時ではなかった。
「何か無いか? 欲しいものや必要なものは……」
「──資料室の鍵」
「……それはプレゼントできるものではないよ」
「貸してくれればいいって。他には要らない」
「ふむ」
欲が無いのだね。そう言っても良かったが、言葉にはしなかった。
彼に何かを欲しがる欲がないわけではない。
ただ、その方向をひどく限定しているから、傍目には無欲に見える。それだけのことだ。
それならば、と思った時。
「だって、俺たちは旅から旅の生活だし。小物をもらっても失くしちまいそうだし、本とかだと持って歩くの大変だし。だから、物は要らない」
少しばかり、ぼそぼそと告げてくる。
逸らしたうつむき加減の顔は、厚意を拒絶することに対し、申し訳なさを感じているからだろうか。
それだけでも本当に素直な、愛情豊かに育てられた子供だということが分かる。
「分かった。それなら今夜の食事はどうだ。もちろん、肩の凝らない気楽な君好みの店に連れて行くことを約束する」
それならこちらから折れようと、提案する。
と、彼は考えるように小首をかしげた。
「……仕事、終わるのかよ?」
「失敬な。基本的に私は残業はしない主義だ」
「それで出来なかった分は明日に回すなんて馬鹿なこと言うなよ? いい加減、ホークアイ注意に撃ち殺されるぜ?」
「明日できることは今日やらないのが私のモットーなのでね」
「……なんで、そういう事を威張って言えるんだよ?」
大げさに溜息をつきながらも、気を取り直したようにうなずいて見せて。
「まぁいいよ。それなら、あんたの仕事が終わるまで資料室の鍵、貸してくれ。それと定時より遅くなるんなら、俺はアルとホテルに帰るから」
「分かった。せいぜい張り切って定時に上がるとしよう」
「そうしてくれよ。俺も一食分、食費が浮くのはありがたいし」
そう言って、少しばかり悪戯小僧めいた笑みを浮かべ、こちらが差し出した鍵を手を伸ばして受け取る。
「じゃあ、また後でな」
「ああ」
出て行く少年の表情には、入ってきた時の身構えた気配は既にどこにもなく。
赤いコートの後姿を見送りながら、作戦終了、と心の中で一人ごちる。
いつもこんな風だった。
東方司令部を訪れる時、そして、この執務室に足を踏み入れる時。
彼はいつも緊張して、それとは分からない程度に身構えている。
おそらくそれは、ここに限られた話ではなく、いつ、どこの土地にあろうとそうなのだろうと思う。
そもそも、彼ら兄弟には帰るべき巣がない。
足を踏み出した先は、全て他者のテリトリーであって、彼らは常に通り過ぎるだけの余所者でしか有り得ない。
余所者であるということは、常に阻害され、排除されるという可能性をはらんでいるということだ。
更には、彼らは禁忌を犯した異端者でもある。
だからこそ、いつでも無意識に警戒し、神経を張りつめているのだろう。
とはいえ、野良猫でも根気よくミルクをやっていれば少しずつ馴れるように、彼らもこの三年近い月日で、東方司令部に対する警戒はかなり解いている。
ただ、兄の方だけは、未だにこの執務室に足を踏み入れる時には、毛を逆立てる。
そして、その理由が察せられないほど、自分は鈍くはなかった。
身構え、不機嫌そうな顔でやって来る度、彼が反応せずにはいられないような言葉を並べ、少しばかり感情を逆撫でして、それから警戒からではなく憤りで膨らんだ毛並みを、適度に宥めて撫で付けてやる。
ここでは、やわらかな感情をあらわにしても構わないのだと。
別に身構えなくとも、君を無慈悲に弾き出したりはしないと、言外の思いを込めて。
そうしている時の彼に向かって働く自分の心の動きは、おそらく、愛しさ、と形容しても間違ってはいないだろうと思う。
もっとも、その感情を深く追求する気は、今はなかった。
おそらくはまだ、自分も彼も現状のままで足りる。
「……鋼のも、もう十五か。早いものだ」
求めるものは未だ得られないものの、幼かった兄弟は少しずつ大人へとなりつつある。
数ヶ月毎に顔を合わせる度に変わって行く彼らを見るにつけ、時の流れとは恐ろしいものだと思うが、かといって時間が止まればいいとは決して思わない。
現状の居心地が悪くないのは確かだし、それが永遠に続くという幻想が、それなりに強い誘引力を持っていることは認める。
しかし、それに安住するよりは、その先にあるものが見たい、と思うのだ。
「とりあえずは、せいぜい餌付けさせてもらうとしようか」
呟いた声は、我ながら楽しげに笑んでいた。
身構えて入室してきた彼が、言葉を重ねるたびに素に戻ってゆくのを見るのは楽しいが、しかし、いつまでも身構えられたままというのは少しいただけない。
「次の誕生日が来る頃には、せめて仏頂面ではなく普通の顔で入ってきてもらいたいものだが……どうだろうね、鋼の?」
問うた相手は、おそらくもう資料室で本に熱中しているだろう。
適度なところで誰かに茶を持って行かせないと、休憩すら取らずにこちらの仕事が終わるまで読みふけっているに違いない。
手のかかることだ、と小さく笑みながら、積んであった書類の山を崩しにかかる。
定時までは、あと五時間。
彼と約束をしたといえば多少の譲歩はしてもらえるだろうが、結局は、署名した書類の枚数がものを言う。
ここから先しばらくは、時間との勝負だった。
end.
大佐の方は、まだ恋愛感情より
保護者気分の方が濃厚らしいです。
さりげなく子供を甘やかす大人、の構図、好きかも。
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