- 05.先に溺れたほうの負け、と言ったのは -
人が人を好きになる理由など、そう種類は多くはないと思う。
それが子供と大人の関係なら、尚更に。
たとえば、さりげなく触れてきた手が優しかったとか。
行き詰まり、途方に暮れていた時に助言してくれたとか。
欲しいと口に出したことすらなかったものを、何でもないことのようにくれたとか。
こちらへと向けられる瞳が真っ直ぐだったとか。
ひたすらに前を見つめる横顔が鋭く、強かったとか。
立ち去ってゆく背中が、潔く揺るぎなかったとか。
決してしてはならないことをしてしまった時、それなのに誰も咎めてくれなかった中、ただ一人、本気で叱ってくれたとか。
人の心など、単純なものなのだろうと思う。
決して高い確率ではなくて、流星群の時期でもない夜空を見上げていて流れ星を見つけるのと同じくらいには稀有なことだろうけれど、不意に心の深い部分に何かが響いた時、何かが鮮やかに心に焼きついた時。
それを人は、恋に落ちた、と呼ぶのだろう。
一番最初から、それは始まっていたのだと。
形になったのはずっと後であっても、きっかけは一番最初にあったのだと認めるのは、そう難しくない。
彼が一番最初に与えてくれたものは、激しい叱責で。
けれど、その業火のような怒りに晒されて、初めて生ける屍のようになっていた自分は深く呼吸することができた。
誰もがひどい腫れ物に触るようにしか接してくれなかった中、真っ向から自分のした事を否定されて。
自分は憐れまれるべき子羊なのではなく、重大な禁忌を犯した咎人なのだと、違(たが)えようのない現実を示されて。
あの時、間違いなく、自分は救われたのだと思う。
ただ打ちのめされ、失った手足の痛みに苛まれるばかりだった無明の闇の底から、自分は許されざる罪を犯したのだと、だから償わなければならないのだと、頭(こうべ)を上げることができたのは、他の誰のせいでもなく。
それだけでも、もう十分だったのに。
死んだ母親恋しさに人体練成を試みたという、いかにも幼く愚かな理由を聞いた彼は、そういう事情であるならば、とそれ以上を咎めることをせず、代わりに道が……それは間違いなく悪路ではあったけれど、歩める先があることを教えてくれた。
諦めたら、そこで全ては終わると。
それが嫌なら、泥にまみれて這いずってでも前に進めと。
ただ一人、彼だけが。
いつもいつも、彼は優しかった。
与えられるのは、普通の大人が子供にするような、すぐに見て分かるような簡単な優しさではなく、むしろ嫌がらせや意地悪だとしか思えないものだった。
けれど、感情を逆なでされ、ひとしきり怒り狂った後、ふと我に返ると心のささくれていた部分が消えていたり、欲しかったものが手の中にあったりした。
そして、地獄を見たと豪語できる自分と同等以上に、彼もまた、この世の地獄を経験したことを知って。
それでも……あるいは、それゆえにひたすら前を、高みを見つめる強い横顔に。
本当は、認めるのは少しだけ悔しいとも思う。
どうしたって、自分たちは対等にはなれない。
彼がどう接してくれようと、彼相手に敬語など使ったことなどなかろうと、大人と子供であることには変わりなく。
彼もまた、子ども扱いせず対等に扱う一方で、庇護することを止めようとはしない。
けれど、それでも。
想うだけで熱の灯る心は、どうにもならないものだから。
「アル、次の町のこと調べ終わったら、そろそろイーストシティに戻るか」
「そうだね。前行ってから、もう二ヶ月以上経つもんね。そろそろ報告書提出しないと」
「ああ。面倒だけどな、仕方ない」
「そう言いながら、兄さんも司令部の人たちは嫌いじゃないでしょ。楽しそうだよ、あの人たちと話してる時」
「それはお前だろ」
見守ってくれている人が居る。
待っていてくれる人が居る。
きっと、それ以上の幸福などないから。
「行こうぜ、アル」
「うん、兄さん」
end.
大佐を大好きなエドワード。
でも、どんな設定にしても根底はこんなものだと思います。
あとは素直に認めるか認めないか、それだけの差ではないかと。
ネタのヒントは原作の親父さんの言葉から。
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