- 03.今すぐ来て、それだけでいいから -
膝を抱えて、小さくうずくまる。
傾いた日差しは、その小さな影をも長く引き伸ばし、静かに今日の最後の光を投げかけていたが、それすら目にすることはできなかった。
今、自分の背後に在るのは、悲しみの家。
所詮、通りすがりの存在なのだから、関わらなければ良かった、と思うけれど、もう遅い。
ただ、笑って欲しかっただけなのだ。
人懐っこく話しかけてきた、小さな女の子。
閑静な田舎町の、日当たりのいい通りに面した窓の向こうから、小さなベッドに起き上がり、パジャマ姿のままで、お兄ちゃんたちはどこから来たの、と。
にこにこと笑ってはいても、顔色は良くなく、袖口から覘く肌も太陽の光を知らない白さで、何か病気を抱えているのだろうということは一目で分かった。
けれど、その笑顔を無視することはできなくて。
窓越しに、しばらく喋っていたら、女の子の母親に家の中に招かれた。
ただ、喜んで欲しかっただけだった。
生まれつき心臓が悪くて、もう時間の問題なのだと、疲れ切ったようにひっそり微笑んだ母親に。
ベッドから下りて自由に動き回ることすら、ままならない小さな女の子に。
少しでも笑顔をあげたくて。
アルフォンスと二人、小さな等価交換を、幾つも幾つも披露した。
それは他愛のない魔法のようなもの。
欠けたグラスを、きらきらと光るガラス細工の花にしてみたり。
クッションを、小熊のぬいぐるみにしてみたり。
ついでに、母親のペンダントを直してみたり。
そんな小さな手品を、幾つも、幾つも。
けれど、最後に。
女の子は、「お父さんに会いたい」と。
何年も前に、事故で亡くなってしまった父親。
一瞬、顔をこわばらせてしまった自分を、母親はどう受け取ったのか。無理を言っちゃだめよ、と小さな娘をたしなめて。
ごめんなさいね、と。ありがとう、と微笑んだ。
小さな女の子の具合が悪くなったのは、次の日の夜遅く。
そのまま半日苦しんで。
つい、先程。
「エドワード君」
呼ばれて、はっと顔を上げる。
肩越しに振り返ると、女の子の母親が、泣き腫らした目で、それでも微笑んで立っていた。
「本当にありがとう。最後に素敵なものを沢山見られて、あの子は本当に喜んでいたし、私も嬉しかったわ。ありがとう」
「……でも俺は」
「十分だったわ。死んだ人は戻ってこない。そうでしょう?」
精一杯に微笑んだその人の瞳に、新たな涙がにじむ。
その胸に揺れる、死んだ夫からのプレゼントだったというペンダントが、残照に静かな輝きを見せて。
「あの子のことを、そんなにも悲しんでくれてありがとう。良かったら、明日のお葬式にも出てくれるかしら」
「……うん。出るよ。絶対に出る」
「ありがとう。それじゃ冷える前に戻ってきてね。温かいスープを用意して、待っているから」
それだけを告げて。
彼女は家の中へと戻ってゆく。
その後姿が、滲み、ぼやけて。
「────っ…」
何も、できなかった。
ほんの小さな手品を見せてあげただけ。
苦しみを取り除くことも、あの子が一番望んだものを与えてやることもできなかった。
なんて無力な、この手。
「──あんたも…こんな思い、したことあるのか……?」
所詮は、錬金術。
所詮は、人間のすること。
ちっぽけなちっぽけな、人間の。
「きっと……あるよな。あんた、だって……」
それでも。
彼が知ったら、言うだろうか。
自分の出来ることはやったのだろう、と。君は最善を尽くした、と。
そんな、言葉を。
「大佐……っ」
呟く言葉は、小さく震えて途切れる。
──強くなりたい。
悲しみを、己の無力を受け止められるくらいに。
どんな時でも、毅然として立てるくらいに。
──強く、なりたい。
end.
エドにとってロイは、
好きな人でもあり、理想の大人でもあり。
もう一度立ち上がる原動力でもあり。
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