02 温もり









「!?」
 不意に目の前に何かが差し出されて、活字に集中していたエドワードは心底驚いた。
「え……あ、大佐?」
 何すんだよ、と顔を上げて睨むと、エドワードが腰を下ろしているソファーの正面に立ったロイは、少しばかりおかしげに苦笑していて。
「今日はここまでにしなさい。もう君は寝る時間だ」
「え?」
 言われて、壁の時計を見ると、確かにあと一時間ほどで日付が変わろうかという時刻だった。
「あれ、もうこんな時間?」
「そうだよ」
 夕食をとったのが夕方六時過ぎだったから、五時間も飲まず食わずで本に没頭していたことになる。
 気付かなかった、と改めて開いていた本を見下ろすと、そこには先程まで無かったもの──読書の邪魔をするべくロイが差し出したしおりが挟みこまれていて。
「……あとちょっとで、この章が終わるんだけど」
「やめておきなさい。キリがなくなる」
「あと、これだけなんだぜ?」
 三十ページくらい、と見せても、ロイは首を縦には振らなかった。
「夜更けの読書は目にも良くない。その歳で、眼鏡は嫌だろう?」
「そりゃそうだけど……」
 しばらくグズグズ言ってはみたが、そんなことで懐柔できる相手でないことは最初から分かっている。
 読みかけの本を横に置くことは、実に悔しく、嫌な気分だったが、今は仕方がなく、渋々エドワードはロイがしおりを放り込んだページを閉じ、立ち上がった。
「客間のベッドは用意してあるから、シャワーを使ってきなさい。そんな顔をしなくても、本は逃げないよ」
「はいはい、分かってますよーだ」
 昼間のうちに何度か洗面所を使ったから、バスルームの場所ももう分かっている。
 家主に言われるままに書斎を横切り、そして廊下へと出てドアを閉める直前。
 エドワードは振り返って、いけすかない大人に特大のあかんべーをしてやった。








「……あ」
 熱いシャワーを浴び、暖炉で髪を乾かそうと居間に足を踏み入れると、ロイが居た。
 赤く燃える暖炉の前に移動させたロッキングチェアに腰を下ろして、ゆったりと足を組み、本を読んでいる。が、すぐにエドワードに気付いて、顔を上げた。
「ああ、髪を乾かすのなら、こちらに来るといい。今、場所を空けるから」
 言いながら立ち上がり、1メートルばかりロッキングチェアを移動させて、暖炉の前を空けてくれる。
 その気遣いに何と言えばいいのか分からないまま、エドワードは、もふもふとした感触のカーペットをスリッパで踏みながら、暖炉へと近付いた。
 譲ってくれたのだから、と遠慮なく暖炉の真ん前の、これまた分厚いラグに座り込んで、午前中と同じように暖炉に髪をかざす。
 エドワードがそうする間、ロイは何も言わず、再びロッキングチェアに腰を下ろして本を読んでいるのを、エドワードは背中で感じ取っていた。
 ───いつもこんな風に過ごしているのだろうか、と思う。
 一階だけで5部屋もある家は、とても静かで、今も暖炉で薪が燃える音しか聞こえてこない。
 もっとも、あの不規則勤務では家にいる時間などよほど限られているだろうが、今日のように非番の日も必ず月に数度はあるはずで、そういう休暇を彼がこの家で、どんな風に過ごしているのか、少しだけエドワードは気になった。
「……なぁ」
「うん?」
「あんたの休みって、いつもこんな風?」
「こんな、というと……」
「だから、この家の中で本を読んで……」
「まあ大体、そんな感じだな」
 答えるロイの声は、かすかに笑んでいるようだった。
「これといって趣味があるわけでもないし、そんな時間もない。今日はたまたま君たちが来たが、貴重な休日はありがたく休養することにしているんだ」
「ふぅん」

 今日一日、エドワードとアルフォンスが蔵書あさりをしている間、ロイもまた数冊の本を選んで、今していたようにここで読書をしていた。
 だが、読書ばかりということはないだろう、とエドワードは考える。
 書斎には、本ばかりでなく蓄音機もあったが埃をかぶっていて、最近使われた形跡はなく、その代わり、手洗いに行った帰りに間違えてドアを開けた書斎の隣の部屋には、幾つかの肉体トレーニング用の器具が置いてあった。
 それを見た時、彼が軍人であること、そして、上へ昇り詰めるために努力を惜しまない人間であることを、改めて思い出したのだ。

「……あのさ。あの書斎、今日一日じゃ全然読み終わらなかったんだけど」
「また来てくれて構わないよ。私が非番でなくとも、司令部まで出向いてくれれば玄関の鍵を渡そう」
 その言葉に、エドワードは背後を振り返る。
 ロイはかすかに笑んでいたが、少なくともその顔は、冗談を言ったつもりはなさそうだった。
「──本気で言ってる?」
「勿論」
 あっさり返されて、エドワードは反論する言葉を見つけられなくなる。
 彼自身に無防備なつもりはないのだろうが、無防備としか聞こえないことを言う相手に一体どう対処すればいいのか。答えを見つけるには、エドワードの人生経験は足りなさ過ぎた。

 時々、という表現では、まったく足りない。
 事あるごとに、エドワードはロイがどんな人間であるのか、少し分からなくなる。
 それは、単に年齢の差であったり、軍人と軍属の差であったり、戦場を知っている者と知らない者との差であったり、原因は様々だったが、相手の考えが読めないことはエドワードにいつも微かな不安をもたらした。
 どんな仲の相手であろうと、何もかも分かるはずがない。
 そう思ってはみても、心は割り切れるものではなく、ロイが彼に出来る最大限のやり方で大切にしてくれていることは感じていても、いつも少しだけ、エドワードは戸惑いや不安を感じないではいられなかった。
 相手のことを分からないまま、好きであり続けようとするのは、いつか必ず無理が来る。
 恋愛経験に乏しいエドワードでも、それだけは朧気に予感できたから、それが嫌なら何とかしなければならないのだと自分に言い聞かせて。
 エドワードは、淡い不安や頑固な羞恥心といったものを一時、自分の心の中から押しのけるようにして口を開いた。

「……なあ、大佐」
 感じていることを、正確に言葉にすることは難しかった。
 そもそもが漠然としたものばかりなのだ。
「あんたって、結構俺を特別扱いしてる、よな」
「否定はしないよ」
 エドワードが拙いながらも真剣に問うているのを感じ取ったのか、ロイは混ぜっ返さずに応じる。
「なんで、って聞いたら、怒るか?」
「いや。理由は、君が考えている通りで多分間違いない。ただ、私が個人的な感情は抜きにしても、君を信頼していることは分かってもらえると嬉しいがね」
「信頼」
「そうだ」
 鸚鵡返しに単語を繰り返したエドワードに、ロイはうなずいた。
「たとえば、私が君にこの家の鍵を預けた時、君が意図的にこの家の中で悪事を働くとは考えにくい。多少のトラブルを起こすことはあったとしてもね」
「……どういう意味だよ」
「そのままだ。少しはトラブルメーカーの自覚を持ちたまえ」
 自分を棚に上げて言うなと、エドワードが目を険悪に眇めると、ロイは小さく笑って見せる。
「だが、君は余程の必要に駆られない限り、無断で蔵書を持ち出したりはしないだろうし、この家の中で得た情報を他に漏らすこともしないだろう。私を脅迫するネタにはしてもだ」

 どうしても一言付け加えずにはいられないのか、それともエドワードの心の内にある微妙な不安と緊張を溶かしたいのか、余計な言葉を交えながらも伝えられるロイの考えを聞きながら、エドワードは言葉にならない感情が、じんわりと染み透ってくるのを感じた。
 それは、敢えて言うのなら喜びに一番似ているだろうか。それとも安堵にだろうか。
 恋愛感情から来る妄信ではない、一個の人間として認めてくれているという感覚が少しだけエドワードを勇気付ける。

「じゃあ、さ」
 最初にした質問以上に、言葉にするのは難しい。
 けれど、どうしても聞いてみたかった。
「じゃあ、特別だって言うんなら。なんで今日、俺がここに来た時に……」
 それ以上は上手く表現できず、適切な言葉を探して言いよどむ。
 が、ロイはエドワードが問いたいことを察したようだった。
「私が何もしないと言ったことが、そんなに不思議なのかい?」
「──だって」
 優しい、だが、どこか面白がっているようなロイのまなざしをこれ以上直視できず、エドワードは暖炉へと視線を向ける。
 明るく燃え上がる炎と、ぱちぱちと爆ぜる薪の音に、ほんの少しだけ心が落ち着くような気がして。
 精一杯の言葉を紡いだ。
「俺は……よく分からないから」
 ロイの顔を見て告げるのは無理だった。
 そもそも口に出すべきことなのかどうかも、判別が付かない。
 けれど、何だって言わなければ伝わらないものなのだ。
 相手が大人なのだからといって言わずとも察してもらおうとするのは、エドワードの考え方からすると、姑息で卑怯なように思えたから懸命に、暖炉の炎を見つめながら自分が口に出せる言葉を探す。
「夏前と今と。俺は何も変わっちゃいない……と思う。もしかしたら何か違うのかもしれねぇけど、でも、自分では同じだと思う。あんたへの……態度とか、話し方とか」
「……それで?」
「それで、って……。だから、それでいいのかって……」
 言いよどみ、口ごもる。

 彼が何を求めているのか分からなかった。
 自分は、彼に比べれば悔しい話ではあるが、遥かに子供だった。それも、これっぽっちも余裕のない、常に前へ前へと走り続けているせわしない子供だ。
 そんな自分を、ロイはそれでいいと……好きだと言ってくれた。
 そのことは素直に嬉しい。嬉しいが、どうすればいいのか分からない。
 世間で見かける恋人同士というのは、腕を組んで歩き、相手を大切そうに抱きしめて、キスをしている。だが、果たして自分たちにそういう行為が当てはまるのか。
 似たようなことをしていないとは言わないが、たとえば手を繋いで歩くだけで、あるいは触れるだけの優しいキスをするだけで、既に大人の領域にいるロイが満足しているのか、判断のつけようがないのだ。
 だが、それをどう表現すればいいのか。

 困り果てて黙り込んだエドワードの心中を察したのだろう、ロイが身動きした。
 何かと顔を上げると、彼は揺り椅子から立ち上がり、エドワードの隣りのラグの開いている場所に直接腰を下ろす。
「何……?」
「いや。君が床に座っているのに、私が椅子に座ってする話じゃないと思ってね」
「───…」
 どうやら、目線を同じ高さにしたかったらしい。
 子供扱いするのではなく、自分を対等に扱おうとするロイの一端にまた触れたような気がして、エドワードは言う言葉を見つけられずに、ただ自分の隣りでくつろいで暖炉の火を眺めやる男を見つめた。

「君が気にしているのは、私が君に恋人として何を求めているのかということだと思うんだが……」
 切り出された言葉は微妙に直球で、エドワードは耳が熱くなるのを感じる。
 だが幸い、ロイはエドワードのほうを見ずに続けた。
「実を言うと、特に何も求めてないんだ」
「……は?」
 そう言ったエドワードの顔は、かなりの間抜け面だっただろう。
 しかしそれくらいに、ロイの言葉は意外だった。
「無論、どこか遠くに居ても私のことを思い出して欲しいとか、何かある時には頼って欲しいとは思っているがね。あと、たまにはこうして会いにきてくれると嬉しいとか。だが、その程度なんだよ。今はまだ」
「……今は、って何だよ?」
 明らかな含みを感じて目を眇(すが)めると、ロイは小さく笑って手を伸ばしてきた。
 大きな手が、エドワードの剥き出しの機械鎧の手に触れる。鋼鉄の表面には当然、その手の温もりは感じない。
 だが、温かい、とエドワードは五感ではない部分で感じた。
「言葉通りの意味だ」
 振り払われなかったことで気を良くしたのか、ロイの口元に浮かぶ笑みが少しだけ深くなる。

「たとえ話で考えてみよう。あくまでも仮定の話だが、君の恋人が私ではなく、同じ年の女の子だったら……君はどんな風に付き合う?」
「どんな風って……」
 突然の仮定話にエドワードは戸惑ったが、自分を真っ直ぐに見つめる漆黒の瞳が穏やかに暖炉の炎を映しているのに気づいた。
 別に、ロイはこちらをからかって言っているわけではないらしい。ならば、と考えてみる。
 しかし、同年代の女の子といっても、ウィンリィくらいしか思い浮かばない。そして、彼女が目を輝かせるのは、機械鎧全般に限られる。そんな彼女をモデルに普通のデートの場面を想像しようとしても、到底無理な話だった。
「……何か想像つかねえ」
 何しろ、これまで考えたこともないのである。
 お年頃らしく彼女持ちにあこがれるアルフォンスなら、あれやこれや言えるのだろうが、物心付いた頃から錬金術のみ追い求めてきたエドワードには、まるで何も思い浮かばない。
 だが、
「それなら、それが君の答えだ」
 ロイはからかうでもなく静かに笑っただけで、再び暖炉の火に視線を戻す。

「つまり、私が言いたいのは、急ぐ気はない、ということだよ」
「……?」
「たとえば、君が今、二十五歳なら、また違う付き合い方をしただろう。だが、君はまだ十五だ。十五歳には十五歳らしい交際の仕方がある。たとえば、街や公園でデートをして、ドキドキしながらキスをする、といったようなね」
 彼らしいユーモアを込めて、軽い口調で言う。
 その声にエドワードは聞き入った。
「私にもそういう頃があった。だから、そういうものを君から取り上げる気はないんだ」
「……やっぱり意味が分かんねえんだけど」
 ロイは、何だかこっ恥ずかしい青春のときめきについて語っているらしいが、現にエドワードの前に居るのは、十五歳の可愛い彼女ではなく、二十九歳のちっとも可愛くない男である。
 何をどう夢見ろというのか、憮然として言うと、ロイは心底おかしそうに笑った。
「だからそうじゃなくて……君は私に合わせる必要はないということだよ」
「何をだよ」
「デートの仕方や、その他恋愛一般について、だ」
 笑いながら、ロイはエドワードの右手を自分の方に引き寄せる。
 それに逆らわなかったエドワードは自然、腕ばかりでなく体全体をロイに近づけることになった。
「君が大人になるまでは、私が君に合わせる。それまでは……もう少しこっちに来てくれ。……そう」
 腕を引かれるままになっていると、ロイの腕の中に背後からすっぽりと抱き込まれた。

 床に直接腰を下ろした彼の脚の間に座り、ゆるく両腕で抱き締められたまま、ぱちぱちとはぜる暖炉の炎を見つめる。
 急にドキドキと脈打ちだした心臓を持て余しながらも、その温かな感触に根負けして、エドワードはそっと背後にあるロイの胸に体重を預けた。
 シャツ越しにも分かる筋肉質の胸は、温かく、エドワードが少々どついたくらいではびくともしそうにない。
 その力強さが、今は不思議に心地好かった。
 と、ロイが小さく笑う気配が、背中に伝わってきて。

「今はこれだけでいい」
「……こんなので?」
「そうだ。考えてみてごらん。鉄砲玉の君が、私の家でくつろいでいて、こうして傍に居る。年に一度も起きそうにない奇跡だと思わないか?」
「───…」
 非情に不本意な言われようだったが、反論の余地はなかった。
 次にいつ、こんな風に時間を過ごせるかと聞かれたら、さあ?と答えるしかないのが現状である。
 だが、
「年に一度の奇跡を五回繰り返したら、君は二十歳だ。時間なんてあっという間に過ぎる」
 含み笑いながら言うロイの口調は楽しげで、もしかしたら、とエドワードは思い当たった。

 ロイは案外、本気で現状を楽しんでいるのではないだろうか。
 野望一筋に見えて、その実、懐に入れた相手にはひどく優しい気遣いを見せる男だが、自分に対する態度は、そんな彼の性格だけを理由とするにはあまりにも寛容に過ぎる。
 そして、ロイは息抜きを大の得意とする、何事にも楽しみの種を見つける名人でもあり。

「もしかして……結構本気で、楽しんでる?」
「勿論だとも。学生の頃、未来の花嫁を少女の頃から手元で養育する男の話を読んだことがあるが、今ならその主人公の気持ちが分かるよ。君がこの先、どんな風に成長して変わっていくのか、考えるのはとても楽しい」
「……なんか変態っぽいな」
「失敬だな、君は。もう少し男のロマンを解したまえ」
 照れ隠し半分、本気半分のエドワードの台詞に、ロイは大仰に反応してみせる。
 それだけのことが、何故か楽しかった。
 楽しくて、くすぐったい。
 だから、エドワードは安心してロイの胸に体を預けることができた。
 先ほどは自分の鼓動がうるさくて気付かなかったが、左耳のすぐ傍にロイの心臓の鼓動がある。
 ゆったりとしたそのリズムは、ひどく安心する一方で、エドワードを優しい気持ちにさせて。

「五年後の君は今よりも背が伸びて、髪ももっと伸びているか、短くしているか……。でも、きっとその目は変わらないんだろう」
「目の色?」
「いいや。君の目に浮かぶ光だ。真っ直ぐで激しい……。一番最初に私が君の印象として残したのは、その目だったという事を言ったことがあったかな」
「──いや、初耳」
「そうか」
 頭の横に、ロイが触れた感触がした。髪にキスをされたのだろうか、とエドワードは思う。
「じゃあ、五年後のあんたは?」
「さてね。今より出世していることは確かだが」
「ヘマして降格された挙句、頭のてっぺん辺りがが薄くなって腹が出てきてるかもしれないぜ」
「この私がそんな絵に描いたような無能中年になると思うのかい。まったく失礼極まりないな、君は」
「そんなん言ったって、人生の一寸先は闇じゃんか」
「もういいから黙りなさい」
 けらけらと笑ったエドワードの口元を、ロイの優しい指先が封じる。
 その乾いて温かな感触に、エドワードの胸がどきりと震えた。
 そんなエドワードの耳元で、低い声が優しくささやく。

「私が今、君に何かを望むとしたら、私を好きなままで大人になってくれることだよ」

 温かくて心地よい、だが奥底には温かさ以上の熱を秘めているような声に、眩暈がするようだった。
「そうしたら、うんと君を誘惑してあげるから、楽しみにしているといい」
 初めて聞かされた含みを持つ言葉に、かっとエドワードの頬が熱くなる。
 今そんなことを言うなんて反則だと思いながらも、しかし、心のどこかが安心するのも感じる。

 ───本当は、少しだけ怖かった。
 ロイが何を求めているのか分からず、不安であったこともあるけれど、それ以上に彼の居る大人の世界を恐れていた。
 その世界に触れたら、何かが変わってしまいそうで。
 自分が自分でなくなってしまいそうで、アルフォンスのことを一番に考える自分を見失ってしまいそうな予感に、ずっと怯えていた。
 けれど、ロイは待つと言ってくれたのだ。
 大人になるのを楽しみにしていると。
 それまでは、自分に合わせてくれると。
 こうしてただ寄り添う以上に深い触れ合いを、自分が恐れなくなるまで。

「今は十五歳でも、君はあっという間に大人になる。だから、私はそれまでの時間を十分楽しませてもらうよ」
「……そんなこと言って、あんたの方はどうなんだよ」
「どうというと?」
「だから、俺が大人になるまで……」
 心変わりしないのか、という言葉がどうしても口に出せずに、エドワードは押し黙る。
 だが、経験豊富な大人は、その沈黙だけでエドワードが何を言いたいのか理解したらしかった。
「これくらいの歳になると、そう簡単に人を好きになりはしないし、一旦好きになったら心変わりもしないものだ。大人という生き物は、君が思うよりも不器用なんだよ」
 笑いながらの言葉に、エドワードは恥ずかしさでいたたまれなくなる。
 こちらの言いたい事を察してくれるのは便利だが、本心を見抜かれているという恥ずかしさだけはどうにもならない。
 だが、ロイのほうを振り返るように促す手の動きには逆らわなかった。
 至近距離で瞳を覗き込まれ、その気恥ずかしさに目を伏せると、額に優しいキスが落とされる。
 そして、まぶたに、頬に、鼻の頭に続いて、最後に唇に優しい感触が触れた。
 これまでにしたどのキスよりも少しだけ長く感じられる、けれど、やはり触れるだけの、ただいとおしむようなキス。
 包み込むような優しさと温もりに、エドワードは心のどこかが甘く解けるのを感じて。

 ───ああ、やっぱり。

「──何だい?」
「何でもねぇよ」
 いつもなら照れて目を逸らし、仏頂面になるエドワードが、目を開けるなり小さく笑ったからだろう。
 おや、という顔でロイが尋ねてくる。
 だが、エドワードは何でもないと首を横に振った。
「何でもないってことはないだろう」
「だとしても、内緒。あんたには教えてやらない」
「エドワード」
「聞こえねえ」
 つんと顔を背け、ついでにぽふんと彼の胸に顔を埋めて、完全に表情をロイから隠す。
 ───絶対に教えてなんかやらない。
 少なくとも今は。
 でも、いつか、なら教えてやらないこともない、かもしれない。
「教えてくれたって減るもんじゃないだろう、エドワード」
「しつこい。教えねえったら絶対に教えねえよ」

 ───好きになったのがあんたで、本当に良かった。

 もしかしたら、言わなくてもロイは知っているかもしれないけれど。
 それでもこれは、今はまだ自分だけの秘密だった。






end.




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