・映画『ゴティックメード』の盛大なネタバレです。
・トリハロンが統合フィルモア初代皇帝になった直後の未来捏造です。
・トリハロン&ベリンです。
・それでもOKという方のみどうぞm(_ _)m

風に折れない花

 おやすみなさいませ。丁重にそう告げて侍従が下がり、寝室の扉が重々しく閉まる。
 それを見届けてから、トリハロンはゆっくりと寝台へと向かった。
 だが、直ぐに眠る気にはなれないまま、巨大な天蓋付き寝台の端に腰を下ろす。嵩のあるしっかりとした造りのそれは、身長二メートルを軽く超える強靭な体躯の重みでさえも軋み音すら立てずに受け止める。
 そして、トリハロンは身体の力を抜きながら一つ息をついた。
 眠気がまだ訪れていないとはいえ、疲れを感じていないわけではない。
 ついぞ十日前に、統合フィルモア帝国初代皇帝の座に就いたばかりの身である。
 戴冠は無事にし終えたものの、分裂と統合を繰り返す帝国に揺るぎなく堅固な統治機構を構築するという本来の目標は、やっと緒(ちょ)についたばかりだ。
 フィルモア帝国はもとより国家の集合体であるだけに、数千年を超える間に育まれた様々な派閥や利権、思惑が複雑に絡み合い、一筋縄ではいかない巨大かつ奇怪な塊となっている。
 皇帝といえども事あるごとに謀略に足を取られ、策略に手を絡め取られ、うかうかしているうちに全身を拘束されて見動きすらままならなくなりかねない。そういう危うさの中で帝国の統治そのものを改革してゆく作業は、どれほどに実行者の心身を削り取ってゆくか。その苛酷さは想像を絶するものがある。
 だが、それに耐え得るだけの自信も自負もトリハロンにはあった。
 トリハロンの王族としての激務は、昨日今日に始まったものではない。ドナウ帝国第三皇子として成人前から、一般人であれば超過労働として訴訟を起こされるのが必至の献身を強いられていたのである。
 騎士として生まれついた肉体は強靭であるし、更に幼少時からの徹底した帝王教育により集中力や忍耐強さといったメンタル面も鍛え抜かれている。ここに重圧の十や二十が加わったところで、今更というところであった。
「苦労というのなら、この十七年も楽ではなかったしな」
 何百年も前に東西に分裂した帝国を再び一つにする。
 それは、十七年前にはおよそ見果てぬ夢だった。
 その構想を聞いた当初にはトリハロン自身も驚愕し、呆れ、何という無茶を言うのかと腹を立てかけた。
 しかし、それが己の使命なのだと覚悟を定め、必ず達成できるものと信じて一つ一つ障害を取り除けていったならば、たった十七年で夢物語が現実のものとなったのである。
 だからこそ、新たな統治機構を作り上げるという大仕事に対しても、トリハロンは怯むことはない。
 どれほど難しくとも必ず成し遂げる。心の中にあるのは、その決意だけだった。
「そろそろ休むか」
 いつまでも起きていても消耗するだけである。まだ眠気は訪れていないままだったが、休息は取れる時に取っておかなければならない。
 そう思い、ひとまず横になろうと寝台に腰掛けたまま、室内履きを脱ぎかけたその時。
 ―――何だ?
 不意に何かが若い皇帝の感覚をかすめた。
「?」
 反射的に剣に手を伸ばしかけたが、違う、とその手は止まる。
 薄氷を溶かして春の到来を告げるさやかな風にも似た気配は、少なくとも敵意や殺意に満ちたものではなかった。むしろその正反対で、やわらかく温かい。
 そう感じた次の瞬間。
 中庭に面した大きな窓の手前に光が生じた。
 淡い光がどこからともなくさらさらと降り注ぎ、凝縮してゆく。
 警戒だけは解かずに見つめるトリハロンのまなざしの先で、零れ落ちる光は極光のように淡く揺らめきながら細長いシルエットを形作ってゆき―――。
 程なく、半ば透けた女性の像となった。
 背はさほど高くない。癖の無い黒髪は腰よりも長く、さらさらと滝のように流れ落ちている。
 帯剣はしておらず、身につけている衣服は形こそ簡素だが、見て取れる質感は極上の絹だろう。ほっそりとした女性の肢体をやわらかな色彩で慎み深く覆っている。
 顔立ちは――美しかった。
 絶世の美女というには幾らか足りない、だが、その分、親しみやすく包み込むような慈愛と母性を感じさせる温和な目元。
 淡い色の花弁を二枚重ねたような小さな口元には、どこまでも優しい、それでいて少しばかりの茶目っ気を感じさせる微笑みが浮かんでいる。
 見知らぬ顔ではなかった。
 息を呑み、その名を呼びかけてトリハロンは思いとどまる。
 ちらりとドアを見やり、その向こうに居るだろう近衛兵のことを思うと、うかつに声は出せなかった。尋常ならぬ声を上げれば、彼らは直ぐに室内に踏み込んでくる。そうでなくとも騎士の聴覚は鋭い。意図的にボリュームを下げなければ、全てが筒抜けだった。
 ふう、と気を落ち着かせるために一つ息を吐き、トリハロンは目の前の女性を見つめた。
「大きな声は出してくれるなよ、ベリン。こんなところを近衛に見られたら、俺は神聖不可侵なる詩女と不義密通した皇帝ということになって即日失脚してしまう」
「ええ。ごめんなさい、驚かせてしまって。でも大丈夫です。私達の声は外には聞こえません」
 微笑み、女性――詩女ベリンは悪びれもせずに答える。
「御迷惑をおかけするとは承知していましたけれど、どうしても御礼を言いたくて」
「礼?」
 彼女の物言いに、ふとおかしみを覚えてトリハロンもまた小さく笑う。
「祝いじゃあないのか」
「はい。御礼です。私との約束を守って下さったことについての……」
「まだ道半ばだ」
 笑みは浮かべたまま、トリハロンは肩をすくめてみせた。
 礼の言葉は初めてだが、帝国統合と戴冠を寿(ことほ)ぐ言葉は、この半月間に散々に聞いた。だが、まだスタート地点に立っただけだということは誰よりもトリハロン自身が知っている。
「やっと皇帝にはなったけどな。帝国の大改革は、まだこれからだ。豊かにして堅牢なシステムを作ることが二つの星の平和に繋がる。そうだろ、詩女さん」
 詩女さん、と彼女がかつて嫌がった呼称で敢えて呼ぶと、ベリンは、まあ、という顔をする。
 そして、トリハロンを見つめた後、花が開くように笑った。
「お変わりありませんのね、陛下」
 仕返しだろう。彼女もまた、かつてトリハロンが不要だと言った敬称で呼ぶ。
 その悪びれず、また媚もしない朗らかで自然な言動が彼女の魅力だった。そう唐突に記憶を蘇らせながら、トリハロンはベリンを見つめた。
 ―――十七年前、任務で出会った時の彼女は、純真さに溢れた可憐な少女だった。
 その印象のまま年を重ねたような今、彼女は可憐さを美しさに変え、男ならば誰でも、傍に居て欲しい、自分の帰りを待っていて欲しいと願うような理想の温もりをたたえた大人の女性となってトリハロンの前に立っている。
 だが、歳月が彼女を成長させても、ベリンはベリンだった。
 いつまでも聞いていたくなるような澄んだ温かな声。
 感情を素直に映す藍色の瞳。
 野に咲く花のような朗らかな微笑み。
 記憶の中の彼女と何一つ、ずれはなかった。
「君も変わらないようだな」
「そうですか?」
 ふふっとベリンは楽しげに微笑む。
 そして、トリハロンを見つめた。
 星明かりと常夜灯の輝きが零れ落ちる王宮の静かな一角で、互いに微笑んだまま、言葉もなくまなざしを見交わす。
 ―――何もかも十七年ぶりだった。
 互いに一国や地域を代表する者として公の場で顔を合わせたことは幾度かある。だが、挨拶を除いては、ほんの一秒、視線を交わすのがせいぜいだった。
 互いへの敬意は二人共に隠さなかったが、列強のパワーバランス上、格別に親密であると思われるわけにはいかないのだ。
 故に、敬意を込めた目礼を交わす、それ以上の事は出来なかった。
 しかし、それで十分だったのだ。
 トリハロンは、ベリンがカーマインの諸民族をまとめる為に尽力していることを知っていたし、自分が東西フィルモア統合の為に尽力していることをベリンが承知してくれていると信じて疑わなかった。
 私的な言葉を交わす機会がこの十七年間に一度もなくとも、間違いなく二人は同じ夢を追う同志だった。
 今、ベリンがこうして星間を超え、遥かなフィルモアの王宮にまで思念波を飛ばしてくれていることこそが、その証である。
 加えて、星団最高の能力を持つ彼女が実体を転移させるのではなく、精神のみを届ける。その意味をもトリハロンは正しく承知していた。
 個人的な会話そのものが互いの立場上、ルール違反となってしまう自分達である。統合フィルモア皇帝と詩女の深夜の密会。これを他人に知られたら、間違いなくそれぞれの権威は地に落ち、地位を追われてしまう。
 故に、決して触れ合えない距離で、言葉とまなざしのみを交わす。それが彼女が選んだ、そしてトリハロンにとっても望ましい、自分達の守り通すべき節度だった。
「戴冠式の御様子、星間配信で拝見していました」
 はらりと花弁が不意に零れる。そんな様でベリンが再び声を紡いだ。
「そうか」
「あの織物……。見た瞬間に声を上げてしまいそうになりました。あんな風に使っていただけるとは思わなかったから」
「驚いただろう?」
 思った通りの彼女の感想に、トリハロンはにやりと笑う。
 あでやかな茜色の織物。かつて詩女に指名されたばかりのベリンが一年間の潔斎の間に織ったという美しいそれを、トリハロンは戴冠式の際、豪奢な皇衣の一番表として仕立て、身に着けた。
 その一部始終が星団中にどのように放映されたかは、よく知っている。彼女も必ずや見ているだろうと信じていた。
「君からもらった大事な御礼の品だからな。一番派手な形で使ってやろうと思ったんだ」
「まあ」
 彼女は柳眉を軽く上げ、それから冗談を受け入れて笑う。
 だが、その笑みがふと困惑に翳るのをトリハロンは見逃さなかった。
「あの衣装……本当に見事でした。トリハロン様によく似合っていらして……。でも、良かったのですか? あの織物の色は……」
「構わんさ」
 茜色、つまりカーマインカラーの美しい織物。その色が示すところは星団においては明白である。
 それをトリハロンは隠そうとは思わなかった。
「俺が過去に君の護衛になったことは誰でも知っている。そもそもが惑星連合が命じた任務だったしな。それも元はといえば、ドナウ帝国と惑星カーマインの関係が昔から友好的だからだ。俺と君が直接知り合ったことで、その絆がより一層深まったのは不思議でも何でもない」
「それはそうかもしれませんが」
「加えて、俺は口外してないが、俺が東西のフィルモアを統合することは詩女の神託だ。君の言葉がなかったら俺は東西統合を、いずれは思いついたにしてもずっと先のことだっただろうし、これほど短期間で成し遂げることも出来なかった。どの角度から見ても、今の俺の立場は詩女の存在なくしては有り得ない。だったら、それを形にして悪いことはないだろう?」
「……相変わらず、お口が達者でいらっしゃるんですね」
「あの頃より磨きがかかったぞ。武力を極力使わないようにしようとすると、どうしても相手を言葉で言いくるめる必要が出てくるからな」
 トリハロンが意地悪く笑うと、ベリンも困ったように笑う。そして、小さく溜息をついた。
「そうまでもおっしゃるのなら、私も正直に言います。――あの衣装を見た時、本当に嬉しいと感じました。
 トリハロン様が私のお願いを覚えていて下さっていることは分かっていました。難しい相手と交渉される時はいつも、カイゼリンを後方に控えさせてはいらっしゃっても、まず言葉で交渉なさっていたでしょう? そうして東西フィルモアを統合されるために一つ一つ進んでゆかれて……。トリハロン様の御活躍を拝見する度に、私も頑張ろうと思えました」
 一旦言葉を切り、ベリンはトリハロンに花が開くような笑みを向ける。
「それだけでも十分でしたのに、私が差し上げた織物を貴い皇衣として公の場で身に着けて下さったのは、約束を守ったと私にお伝えになりたかったからではありませんか? だとしたら、こんな嬉しいことはないと……そう思いました」
「そうまで喜んでもらえるのなら、やった甲斐があったな」
「はい」
 素直にうなずくベリンを見て、トリハロンも満足だった。
 戴冠式など只の見世物であることは百も承知だが、一つの国家の成立を象徴する最重要の見世物であることには違いない。ゆえに最大最強の軍事国家らしく、星団に向けた最高級のはったりとなるよう贅と趣向を凝らしたのだ。
 だが、そんな見かけではなく、その奥にある本質が伝えたかった人に伝わっていた。それだけでも十分だと思えた。
「もっとも、皇帝になったからといってのんきに贅沢三昧をできるような余裕はないけどな。この国は古い歴史があるだけに問題も奥深い。やっと入り口に到達したというところだ。そしてゴールはどこにあるのやら、見当もつかん」
「それは私も似たようなものです」
 ままならぬ現実を思うようにベリンの笑みが複雑な翳りを帯びた。
「この十七年でカーマインの諸部族は、率直な話し合いを続けることによって互いに争いを回避するように変わりつつあります。ですが、他愛のないことで平和は壊れてしまうものですから……」
「それでも君は諦めないんだろう?」
 確信を込めて問えば、ベリンの瞳がこちらを見る。
 その瞳をトリハロンはまっすぐに見つめ返した。
 植民星として開発されたカーマインには、星団中の各国家から人間が送り込まれている。その大半は本星での生活を諦め新天地を求めた貧しい階層の人々や、あるいは何らかの理由により故郷に居られなくなった者たちだ。
 いわば食い詰め者の集団であり、地域毎にルーツを異にする様々な部族に分かれているため、戦争とまではゆかなくとも小競り合いレベルの民族対立は絶えることがない。
 そんな星で唯一つ、全ての民の尊崇を集め、統一の足掛かりとなる存在が詩女だった。
 ベリンはその立場を利用し、詩女を継承した直後から各民族の和合に献身を続けている。その忍耐強さと使命感の高さは、間違いなくトリハロンと通じるものだった。
 そして、トリハロンが期待した通りに、彼女は微笑む。
「はい。諦めません」
 踏まれてもまた立ち上がる野の花のようなベリンの笑みに、トリハロンは僅かに目を細めた。
「それでこそ君だ」
 讃える言葉に彼女の微笑みが深くなる。
 そのまま二人は、またまなざしを交わし合い――やがて、ベリンは慎ましやかにまなざしを伏せた。
「こんな時刻に前触れなくお邪魔した私が言うことではありませんが、そろそろお休みにならないといけませんね、トリハロン様」
「君もだろう。多忙なのは一緒だ」
「ええ」
 詩女の本質が巫女である以上、皇帝ほどではないかもしれないが、それでも楽ができる職務ではない。彼女も本来ならば眠っているべき時刻である。
 その証拠に、彼女の姿は執務中の詩女の略装ではなく簡素な日常着で、装飾品も殆ど身に着けていない。居場所がどこかは知れないが、おそらくは一人きりの静かな時間を狙って精神を飛ばしてきたのだろう。
 僅かに伏せたまなざし、そこに別れを惜しむ思いの全てを溶かし込んでベリンはうなずき、それでは、と言いかける。
 だが。
「ベリン」
 去ろうとした彼女をトリハロンは呼び止めた。
 何ですか、と彼女の深い色の瞳がトリハロンを見つめる。藍色の瞳は、あの頃と変わらず雄弁だった。
 その瞳に向けて、迷いなくトリハロンは告げた。
「もうこうして話す機会もないだろうから、君に伝えておこうと思う。――この十七年間で俺は一度だけ考えたことがある。俺が皇子でなく君が詩女でなかったら、と」
「トリハロン様……」
 ベリンの瞳が大きく見開かれる。
 そこに浮かぶ驚愕の色を見つめながら、トリハロンは続ける。
 思いを打ち明けることに何の躊躇いも悔いもなかった。
 自分達には、共通する夢、それ以外には何もない。踏み越えるものも、踏み誤るものもない。
 どこにも思いの行き場はないのだ。
 ただ互いの胸の奥にそっと枯れない花を飾る。それしかないのだと分かっていれば、告げる機会があるにもかかわらず言葉を惜しむことこそがむしろ悔いだった。
「だが、駄目だった。俺が惹かれたのは詩女である君だ、ベリン。君が皇妃として相応しいどこかの王族か貴族の姫君だったとしても、俺は詩女ではない君をこれほどまでも大切に思うことはないだろう」
 茜色の大地に凛と優しく立っていた少女。
 詩女として重過ぎるほどの責務を細い肩に負い、自信がないと心細げにまなざしを伏せることはあっても、決してその使命を見失うことはなかった。
 年下の少女のその姿こそを尊いと思ったのだ。
 何に変えても守りたいと。
 そして、
「私……、」
 彼女もまた。
「私も……考えました。聖都の手前でトリハロン様とお別れした後、一度だけ。……私が普通の娘で、トリハロン様が市井の青年でいらっしゃったら。きっと惹かれはしたでしょう。けれど、これほど大切に思うことはありませんでした」
 ほのかにかすれた声でベリンは告げる。
 その藍色の瞳が潤んで見えるような気がするのはトリハロンの目の錯覚だろうか。
「トリハロン様が王族として、騎士として、誠実に力を尽くしていらっしゃる方だったから……。私はあなたと夢を見たいと思いました。この星団に平和をもたらすという夢を。あなたとなら見ることができると思いました」
「ああ」
 皇子と詩女。
 決して結ばれることのない二人として出会ったからこそ、他者には追えない夢を生涯かけて共に追うことを誓い合えた。
 かけがえのない宝石のような約束。
 けれど、若かった自分達はほんの一瞬だけ、違う人生を考えずにはいられなかったのだ。
 そして、考えて、納得した。
 自分達にはこの道しかないのだと。
 生まれた時に全てを定められ、儘ならぬ身の自分達だからこそ追うことができる夢があるのだと納得し、その後は面影を胸に前だけを向き続けてここまで来た。
 何一つ、悔いはない。
 ただ、そのことを言葉にして伝え合うことはないと思っていた。そんな機会など有り得るはずがなかったからだ。
 しかし今、その機会が訪れた。ならば、全てを正しく分かち合いたいと思ったのだ。
 あくまでも自分達に許された、そして自分達が望んだその範囲で。
「ベリン。君は俺の生涯に咲く花だ。決して誰にも踏みにじらせはしない。フィルモアは詩女が存在する限り、この先も詩女を護る。必ずだ」
 真っ直ぐにトリハロンは告げる。
 それは茜色の皇衣に懸けた決意だった。
 詩女より賜った布を皇帝が身につける。それはフィルモア帝国は国を挙げて詩女を尊重しているということを全星団に向けて高らかに宣言したに等しい。
 それを虚言にする気はトリハロンにはなかった。
 だが、しかし。
「トリハロン様、それはいけません」
「異論は聞かないぞ。君はカーマインにも星団にもなくてはならない存在だ。最強最大の軍事国家である我が国が守護して何が悪い?」
「詩女は平和の象徴です。軍事国家の後ろ盾は困ります」
 いつかと同じ表情でベリンは苦言を呈する。
 あの時ほど強烈ではないにせよ、一方的な宣言にまなじりが怒っている。それすらも懐かしく感じられてトリハロンは笑った。
 たおやかに見えても、ベリンは決して従順な女性ではないのだ。トリハロンもまた、かよわいだけの女性になど何の興味もなかった。
「別にカーマインの地上や上空に我が軍を駐留させようというわけじゃない。うちが口や手を出すのは、君が争いの標的になった時のみだ」
「私が?」
「そう。カーマインにおいては詩女の権威は絶対だ。逆に言えば、詩女を味方につければ誰も逆らえないということになる。これまでは細かな民族同士の小競り合いばかりだったかもしれないが、この先、それらがまとまって大きな勢力になっていけば、その大きな勢力が詩女の存在をかけて争うという事態も起こってくるだろう。その結果、カーマイン単独で収拾できないような事態になった時には、我が国が詩女殿の意向と身の安全を守る役を務めさせていただく」
「……争いの可能性は否定しませんが、私はお願いしていません」
「非常時だけだ。平常時はこれまでと変わらない距離感を保つし、非常時も詩女殿の安全の確保のためだけに動くと約束する。俺の自己満足もあるが、目的の大半は星団の為だ。詩女は平和の象徴であり、星団になくてはならない存在。そうだろう?」
「――ずるいです、トリハロン様。そんな言い方をされたら拒絶できなくなります」
「勿論、それを狙ってる」
「ひどい方」
 一瞬むくれ、しかし、意義を理解したのだろう。ベリンは諦めたように表情を崩す。
 それは彼女が提案を受け入れたことの表明だった。
 彼女もまた、理想主義だけでは現実は動かせないことも、また身の安全を守れないことも理解しているのだ。
 人は弱く、ともすれば争う。その事を誰よりもよく知り、誰よりも悲しんでいるのは、星団史をその身に収めている詩女その人、他ならぬ彼女自身だった。
「分かりました。貴帝国が惑星カーマインに介入されるのは、争いによって詩女の心身の安全が危機に瀕した時のみ。それでよろしいですね」
「ああ、充分だ」
「念のため申し上げておきますけれど、余計な事をなさったら承知しませんから。この先の詩女の記憶の中には、私もいることになるんですからね。お約束を一方的に反故にされるのは不可能だと子子孫孫までお伝え下さい」
「分かってる」
 軽く笑ってうなずき、話を切り上げたトリハロンは改めてベリンを見つめた。
 そのまなざしに、ベリンもまた、トリハロンを見つめる。
 こうして長々と向かい合うことなど、おそらくはもう二度とないだろう。
 余程の緊急時であっても、ベリンは無闇にその能力を使うような真似はしない。これがただ一度の禁忌、掟破りだとどちらも承知していた。
 窓際と寝台、距離を隔てたまま互いの姿を目に焼き付けるように、ただまなざしを交わして。
「来てくれて嬉しかったよ、ベリン。君とはもう一度話をしたいとずっと思っていた」
 トリハロンは静かな笑みと共に別れを告げた。
「はい。私もお会いできて嬉しかったです、トリハロン様。……私にとっても、あなたは永遠に枯れることのない花です。これからもずっと、ここに咲いていることでしょう」
 先程トリハロンが生涯に咲く花だと告げた、その言葉にそっと胸元を押さえながら答えたベリンの半ば透き通った姿が、ゆらりと陽炎のように揺れる。
「さようなら、トリハロン様。あなたの治世が実りある豊かなものであるよう、遠くカーマインから祈っております」
「ありがとう。いつの日か、君が種を撒いた花が地上に満ちることを俺は願っているよ。その花が踏みにじられないためにならどんな努力でもしよう」
「はい」
 美しく微笑み、目を伏せて。
 僅かな風を残して淡いきらめきと共にベリンは消える。
 何もない空間となった窓際をトリハロンは、しばしの間見つめて。
 窓の向こう、皇帝の庭に咲き乱れる小さな野の花を思い、やがて、程なく訪れる朝の為に静かに目を閉じた。

End.

映画『ゴティックメード 花の詩女』に悶えた挙句、二人の未来を捏造してしまいました。
でも公式では、この二人が個人的に会う機会なんてないんじゃないでしょうか。
そう考えると切ない……。
それでも二人は幸せなんでしょうね。
というわけで、設定集の発行&FSS本編の連載再開を心から祈っておりますm(_ _)m

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