Shining








「じゃあまた来るね、波児」
「来るのはいいが、ツケ払え」
「そのうちドンと倍にして払ってやっから期待して待ってな」
「そう言って、お前が借金を完済したことがあるか?」
「だから、そのうちだっつってるだろ?」
「あーもういいからさ、蛮ちゃん行こうよ。じゃあね、夏実ちゃんバイバーイ」
「おい銀次!」
「ありがとうございましたー。また来てね、銀ちゃん」

明るい少女の声に送られて、蛮の背中を押し出すようにして銀次はHONKYTONKを出る。
ドアの外は、眩しいほどの快晴だった。





「蛮ちゃん、借金のことで波児に言い返すのはやめようよ。本気で出入り禁止になったらどーすんの? タダで御飯食べさせてくれるところがなくなっちゃうよ?」
「いいんだよ、文句つけられて言い返さねーのは俺のポリシーに反するんだ」
「ポリシーって・・・・蛮ちゃんのはただの性格じゃん。言われたら倍以上にして言い返さないと気がすまないんだから」
「うるせー。テメーが何と言おうと、黙って言われっぱなしになんのは我慢なんねぇんだよ」
「それは知ってるけどさ・・・・」

確かに蛮ちゃんが大人しく相手の言葉を聞いてたりしたら、かなり怖いけど、と銀次は小さく溜息をつく。
そして、諦めたように表情を切り替えて、空を見上げた。

「今日は本当にいい天気だよねー。見てよ蛮ちゃん、空が真っ青」
「そーだな」
新しい煙草をくわえて火をつけながら、それでもちらりと空を見上げて蛮は答える。
そんな相棒を見やって、銀次は微笑った。
「ねー蛮ちゃん、中央公園に行こうよ。依頼メールを待ってるだけなら、どこに居たって一緒でしょ?」
「まぁな・・・・」
数少ない、金を使わずに時間をつぶせる場所であるHONKYTONKは、今出てきてしまったばかりだ。
先日、ビーナスの腕の奪還依頼を完了して次の依頼待ちの現在、他に行く当てがあるわけでもない。
「んじゃ、行くか」
「うん!」
明るい表情でうなずき合って、2人は無断駐車した路の端で大人しく主人を待っていたスバル360のドアを開けた。





眩しすぎるほどの日差しの下、中央公園にはそれなりに人々が行きかっている。おそらく、これが休日なら子供や家族連れが増えて、もっと人口密度が上がることだろう。
公園の入り口近くにスバル360を停めた2人は、公園の中を横切って、お気に入りの場所へと向かう。
上質のやわらかな芝生の上に、木々がやさしい木漏れ日を投げかけるその一角は、公園の中央付近の喧騒からは少し離れていて、思わず無意識のうちに入っていた肩の力が抜けるほどに心地好かった。
銀次は芝生の上に寝転がった蛮の隣り腰を下ろし、さわやかな初夏の風に吹かれる。
頭上の葉擦れの音が、何とも言えず耳に気持ちいい響きをもたらしていて。
そのまましばらく黙っていた銀次が、やがて、いつもと同じ声で言葉を紡ぎ出した。

「なんか今日の空は、沖縄の空みたいだね。真っ青で、どこまでも透き通ってるみたいでさ」
「──あっちは、もう少し青が濃くなかったか?」
「そうかな?」
ほんの1週間前に見た南の青空を心に思い浮かべ、頭上に広がる無限の青と見比べながら2人は言葉を交わす。
「でも綺麗だったよね。沖縄の空も海も。オレ、あんなに真っ青なもの初めて見たよ。仕事だったから全然遊べなかったけど。ちょっともったいなかったなぁ。もう二度と行けないかも知れないのに」
「そりゃ仕方ねーだろ。あんな厄介な連中がゴロゴロしてるとこに、やべぇモンを奪還しに行ったんだからよ。俺らに運がありゃ、また行けるさ」
「うん。でも、よく無事で帰ってこれたよね。あ、蛮ちゃんは違うか」
「こんなのは怪我のうちに入らねーよ」
「大怪我でしょ? なのに縫うのは嫌だとかいって、テーピングしかしないんだから・・・・。お医者さんも呆れてたよ?」
「当たり前だ。雑巾じゃあるまいし、玉の肌をざくざくと縫われてたまっかよ。こんなもん舐めときゃ治る」
「言ってることムチャクチャだよ、蛮ちゃん」
肩をすくめながらも、銀次は笑う。
蛮の方も、口調はいつもと同じく乱暴ながらも、瞳はかすかに笑んでいて。
そんな蛮をしばらくのあいだ見つめ、それから銀次はそっと手を伸ばして蛮の肩を固定している三角巾に触れた。
「───痛くない?」
「平気だよ。あいつが思い切り良くすぱっとやってくれたからな。傷口が綺麗な分、くっつくのも早えんだ。見かけは派手だが、縫うまでもねぇさ」
「でも海に落ちたりしたでしょ? 士度たちが居てくれて良かったよね。2人が手当てしてくれなかったら、バイ菌が入っちゃってたかもしれないよ」
「俺様がそんなヤワなわけねーだろうが。あいつらが余計なお節介をしやがっただけだ」
「でも、蛮ちゃんだって人間でしょ」
ああ言えばこう言う蛮に、銀次はやれやれと溜息をつく。
だが、それ以上は突っ込まず、その代わりに話の方向を少しだけ変えた。

「──ねえ、蛮ちゃん」
「ン?」
「オレさ、思ったんだけど・・・・・弥勒君って悪い人じゃないよね」
「────」

蛮は即答しなかった。
サングラス越しに銀次の意図を測るようなまなざしを向け、それから低くいつもと同じ調子で返す。
「テメーだって殺されかかったくせに、何のんきなこと言ってんだよ」
「それはそうだけど、でもあれは仕事だったからだし、結局オレ達が勝ったんだからいいじゃん。そうじゃなくてさ・・・・・」
言葉を探すように銀次は、視線を公園の風景へと向けた。
「弥勒君が蛮ちゃんのこと、何か誤解してるのは、彼が誰かのことをすごく大事に思ってるからなんでしょ? 卑弥呼ちゃんの時もそうだったけど、たとえ誤解でも、あんな風に強い気持ちで憎むのは・・・・その人が本当は、ものすごく愛情の深い人だからだと思うんだ」

蛮の方を見ないまま、銀次はゆっくりと言葉を紡ぐ。
蛮は何も言わないまま、相棒の声を聞いている。

「それだけ誰かのことを大切に思える人が、悪い人のはずがないよ。実際、雪彦君は優しかったしさ。それに蛮ちゃんにとっても、弥勒君は大事な人なんでしょ?」
だったら悪い人のはずがない、と銀次は穏やかに繰り返した。
「ねぇ蛮ちゃん。オレは昔、弥勒君と蛮ちゃんの間で何があったのかは知らない。知らないけど、でも蛮ちゃんのことは信じてるから」
「────」
それきり、言葉が途切れる。
だが、葉ずれが沈黙する2人の間を通り過ぎていったのは、ほんのわずかな時間だけだった。

「・・・・別に、そんな回りくどい言い方しねーでも、聞きたきゃいくらでも話してやるぜ? 俺とあいつは・・・・」
「いいよ!」
素っ気ない口調で言いかけた蛮の声を、思いがけない強さで銀次が遮る。
「いいよ、蛮ちゃん。話さなくていい。聞いても聞かなくてもオレが蛮ちゃんを信じてるのは変わんないんだし、蛮ちゃんがオレに聞いて欲しいんじゃないんなら・・・・話したくないんなら、オレは一生何にも知らないままでいいんだから」
懸命に告げる銀次に、蛮はかすかに驚いた表情で相棒を見上げる。
「蛮ちゃんだって、オレが話したくないことは絶対に聞かないじゃないか。だったら、蛮ちゃんだって話さなくていいんだよ。言いたくないことは言わなくても、オレ達が2人でGet Backersだってことは、絶対に変わんないんだから」
「・・・・銀次お前、あいつから何か聞かされたな?」
「聞いてない! オレは何にも聞かなかったよ!?」
「馬鹿野郎。無理してんじゃねーよ」

そう言った蛮の声は決して責める調子ではなく、むしろ、いつもよりもやわらかかった。
だが、銀次はそれに気づかずに言い返す。
「無理なんかしてないよ。オレは蛮ちゃんのこと信じてるもん」
「それが馬鹿だっていうんだよ」
「全然馬鹿じゃないよ!」
蛮の声がかすかに笑んでいるのにも気付かないまま、銀次は芝生に寝転がった相棒を見下ろして、真剣な調子で言いつのる。
「オレが蛮ちゃんを信じてるのは、蛮ちゃんのことを知ってるからだよ。蛮ちゃんがどんな人か、意地悪言ってても本当はどんなに優しいか、オレが一番良く知ってる。知ってるから、俺は蛮ちゃんを信じていられるんだよ!」
そして銀次は、蛮の白いシャツの裾をぎゅっと右手で握り締めた。

「蛮ちゃんがいるから、オレは世界を信じていられる。蛮ちゃんが信じられなくなるっていうことは、オレにとっては、世界中のことが・・・・優しいものとか綺麗なものとか、そういうもの全部が信じられなくなるっていうことと一緒なんだよ」

そんなことは決してありえないのだと。
世界は──自分の一番側に居る人は、誰が何と言おうと、誰が否定しようと、絶対に何よりも優しい存在なのだと。
何とかして自分の思いを伝えようと、銀次は懸命に言葉を紡ぐ。
その表情をじっと見上げていた蛮が、腕枕にしていた左手を上げ、銀次の髪にくしゃりと触れた。

「・・・・信じろとは言わねー」
「蛮ちゃん・・・・?」
「これまでに約束を守れなかったことは何度もあるし、仕事じゃなくても人を傷つけちまったことはある。だから信じろとは言わねぇ。けど、俺はお前を裏切ったりはしねぇよ」
素っ気ない、けれど微塵も嘘偽りの響きがない声に。
銀次の大きな瞳が見開かれる。
「蛮ちゃん」
そして。


銀次は満面の笑みを浮かべた。


「うん、蛮ちゃん!」
そのまま芝生の上に転がっている蛮に抱きつく。
「オレ、絶対に蛮ちゃんのこと信じてるからね。絶対絶対・・・・」
「そりゃ結構だけどよ、誰かに見られてもいーのか?」
平日の真昼間とはいえ、それなりに公園内には人通りもある。
若い男2人がこうやってくっついているのを、ただじゃれ合っているだけと思ってくれればいいが、それだけではすまない深読みをする人間も、世の中には絶対にいる。
それを懸念しての蛮の言葉だったが、銀次は「いいもん」と意に介さない。
蛮にしたところで、この状態の相棒が聞く耳を持っているとは思っておらず、とりあえず言ってみただけのことで、伸し掛かってくる体重を押しのけることはしなかった。
「蛮ちゃん大好き。本当に一番好きだよ」
「んなことは知ってるよ」
「うんv」
ゴロゴロと甘えてくる銀次の短い髪を、蛮は左手でぞんざいにかき回す。
が、
「おい、そんなにぎゅうぎゅう抱きつかれたら傷が痛ぇだろうが」
あまりにも強くしがみついてくる銀次に、ほどなく蛮が眉をひそめた。
しかし、激甘えモードに突入してしまった銀次は、それくらいのことでは離れない。
感激に舞い上がるあまり聴覚を失くしてしまったらしい相棒に、またたく間に蛮の忍耐が切れた。

「痛えっつってんだろうが、この馬鹿!!」
「うぎゃっ!!」
ゴン!!と容赦ない音を立てて後頭部を殴りつけ、銀次の体を押しのける。
「痛いよ、蛮ちゃん!!」
「テメーが悪いんだろうが。人が痛えっつってんのに加減を忘れてしがみつきやがって・・・・」
「だからって、殴ることないじゃん!」
「ああ!? テメーが殴んなきゃ分かんねーせいだろうが!」
「痛い痛い痛いーっ!」
今の蛮は左手しか使えないため、両こめかみではなく頭頂部をこぶしでグリグリとやられて、銀次は悲鳴を上げた。
「もー、蛮ちゃんの乱暴者!!」
ようやく解放され、痛みに涙目になりながら銀次は蛮に抗議する。
が、蛮の方はケッとばかりにそっぽを向いたまま、起き上がりついでに煙草をくわえて火をつける。
ふんぞり返って煙を吐き出すその憎たらしいまでの態度に、銀次はぶちぶちと小声でぼやいた。

「ったくさあ、もう少し優しくしてくれてもいいんじゃないの? オレはこんなに蛮ちゃんのこと好きなんだよ? もっと大事にしてくれてもバチは当たらないと思うんだけどなぁ」
「してやってるだろうが」
「こんな風にすぐ殴ることが〜?」
「テメー、もっと殴られてぇのか?」
じろりとまなざしを向けた蛮に、銀次は頬を膨らませて口を尖らせる。
「ヘヴンさんが言ってたドメ何とかじゃないけど、殴るのが愛情表現だなんて、蛮ちゃんって本当にメチャクチャだよね」
「あんだと?」
「その通りじゃん。あーもうきっとオレだけだよ、蛮ちゃんみたいなひねくれんぼの乱暴者とコンビ組めるのはさ」
「フン」
不機嫌な面持ちで、新しい煙草に愛用のジッポーで火をつけながら蛮は応じる。
「テメーみたいな世間知らずで大食らいで女に甘いお人好しな馬鹿ヤローとコンビ組めるのも、俺しかいねえだろーが」
「何それ、オレのこと!?」
「この形容詞に当てはまるアホが、他にどこにいるってんだ?」
「いるかもしんないじゃん!」

容赦ない蛮の口の悪さに、銀次はむーっと頬を膨らませた。
が、すぐに気を取り直したように笑顔になり、甘えるように蛮の無傷な方の肩にトンと寄りかかる。
「いいよ、別に。蛮ちゃんが何言っても、オレは蛮ちゃんが本当はすっごく優しいってこと知ってるもん」
「──フン、勝手に言ってろ」
「言ってるよー」
くくっと笑いながら、銀次は答える。
目を閉じると、頬に感じる蛮のぬくもりと、吹き抜けてゆく風がただ心地好くて。

「ねぇ蛮ちゃん」
「何だよ」
「いつかまた弥勒君と会うことがあっても、その時は俺も一緒に連れてってね。絶対に1人で行っちゃったら嫌だよ」
「───ああ」
「絶対、約束だからね」
「分かってるよ、テメーの聞き分けが悪いことくらい」
「うん。もしダメだって言っても、絶対オレは付いてくからね。蛮ちゃんを1人になんかできないもん」
「アホゥ。野放しにできねぇのはテメーの方だろうが」
「だったら、ずっと俺と一緒にいてよ」

呆れたように言う蛮の言葉に笑って、銀次は優しい肩から離れ、芝生の上に寝転がる。
「銀次?」
「何かオレ、眠くなっちゃった。依頼が来たら起こしてよ」
「馬鹿野郎、俺だって眠ぃんだ! 勝手なこと言ってんじゃねーよ!」
「じゃあ蛮ちゃんも一緒に寝よ?」
風が気持ちいいよ、と笑う銀次に、蛮は一瞬呆れた顔をする。
が、軽く肩をすくめて、同じように芝生の上に仰向けに転がった。
2人の上を、さわやかな風が優しくそよいでゆく。
「おやすみ、蛮ちゃん・・・」
欠伸まじりの声で呟いて、銀次は目を閉じる。
すぐに気持ち良さそうな寝息が聞こえ始めて、蛮はちらりと隣りに視線を向けた。
「ったく、平和な顔しやがって・・・・」
呟き、伸ばした指先で銀次の額をつつくが、早々と熟睡体勢に入ったらしい相棒は微塵も目を覚ます気配はない。
軽く息をついて、蛮はざわめく木々の向こうに見え隠れする青空を見つめる。

「・・・・ま、あいつに会っちまったら、またその時はその時だな」
いずれは決着をつけなければならないだろう懐かしい相手のことを思い浮かべて、蛮は木漏れ日の下、自分の左手を枕代わりに目を閉じた。







End.











原作をまとめて読み返していて、一番書きたいと思ったのが、この女神の腕編のラストに絡む話。
蛮と銀次の絆の深さが、これまでで一番クローズアップされていたのが、女神の腕編だったと思います。
『永遠に穢れることのない絆』。
連載時、ラストの回の巻頭見開きにつけられていたコピーですが、これ以上この2人をあらわす言葉はきっとないでしょう。






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