STARDUST CITY 03
何度目かのキスを交わした後、臨也は、待って、と静雄を制した。
何だ?という顔をした静雄にかすかに微笑んでから、身を捩ってサイドテーブルに置いてあったリモコンを手にとる。すると、静雄も臨也が何をしたいのか、すぐに理解したようだった。
「真っ暗にはするなよ」
「しないよ」
真っ暗闇の中でするSEXなど、大して面白いものではない。
少なくとも男は、相手の姿や表情が見えてこそ一際興奮できるのだと分かっているから、臨也は互いの姿形、瞳の色まではっきりと分かる程度の薄明かりにまで照明の明度を下げたところで、リモコンをテーブルの上に戻した。
そして改めて向き合うと、薄明かりの中では返って静雄の金色の髪が映えて見え、思わず胸の奥がざわめく。
まるで恋を覚えたての子供のように心臓がときめくのを感じながら、心の欲求に素直に臨也は静雄の髪に手を伸ばした。
ゆっくりと指先を絡め、梳き下ろすと、少し感触はぱさついてはいるが引っかかりはせず、するすると指の間から逃げてゆく。
本来は、きっと弟のように癖のない、やわらかそうな髪質なのだろうに、と惜しみながら数回撫でると、こちらを見つめる静雄と目が合った。
「──見た目よりは痛んでないね」
「なんだそりゃ」
臨也の感想に、少し呆れた顔をした後、静雄は指先で自分の前髪を摘んで眺める。
「月イチで、脱色して染めてっからな……。まあ、店の人の腕がいいんだろ」
「──幽君に紹介してもらった店だっけ?」
そう言うと、静雄は少しだけ嫌そうな顔になった。
「なんで知ってんだ、ってお前に言うだけ無駄か」
「そうそう。無駄無駄。無駄なことはしない方がエコだよ、シズちゃん」
溜息をついた静雄に便乗して、ついでとばかりに唇を盗む。
バードキスをして離れ、至近距離から悪戯に見上げると、静雄の瞳が仕方ねぇなと微笑むのが見えて。
額や目元、頬や鼻先に軽いキスの雨が降ってくる。
その優しい感触に軽く目を閉じて唇へのキスを期待すると、何故か通り過ぎてしまい、代わりに耳の下をやわらかく吸い上げられる。
予想していなかった刺激に思わず肌が震えると、耳朶をやんわりと噛まれた。
薄く柔らかな皮膚に歯を立てられているのに、何故か痛みはなく、そこからぞくりとした何かが広がってゆく。
かすかに吐息が震えたことに気付かれたのか、ニ、三度、甘噛みを繰り返されて、その得体の知れない感覚が広がって行く先を無意識に追っていると、不意に胸元で何かが動く感触がして、目線を落とせば、静雄の指先がパジャマのボタンにかかっていた。
「シ…ズちゃん……っ」
「ん?」
手際が良過ぎる!と思わず呆れ慌てて名前を呼べば、どうしたと顔を覗き込まれて、その鳶色の瞳の邪気の無さに、喉元まで出掛かっていた文句が霧散してしまう。
だが、静雄の目は自分をじっと見ていたから、何かを言わねば、と臨也は少しだけ慌てた。
その結果、出てきた言葉は。
「──シズちゃんて、俺相手にその気になるの?」
なんとも間抜けなもので、内心、臨也は頭を抱える。聞いた側の静雄の感想も似たようなものだったらしく、至近距離で静雄はにやりと笑んだ。
「ならなかったら、抱かせろなんて言うわけねぇだろ」
「……そ、うだったね」
ひどく男っぽい笑みを見せられて、知らず応じる声が震えてしまう。
静雄が獰猛に笑う顔は、これまでにも散々に見てきた。が、目の前の笑みは違う。憤怒が爛々と目を輝かせるのではなく、一人の男としての艶が鳶色の瞳に鋭さを添えていて、臨也は今更ながらにうろたえた。
───これから抱かれるのだ。この男に。
好きで好きでたまらなかった、たった一人の相手に。
そう思った途端、急に胸の鼓動が速くなる。
自分とて何も知らないわけではない、と思ってはみても、じわりと顔が熱くなるのを止められない。
何といっても、好きな相手と触れ合うのは初めてなのだ。緊張するなという方が無理だった。
そして、その変化は、臨也の体を緩く抱きしめ、至近距離から顔を見ている静雄には筒抜けだったらしい。
艶めいたままの鳶色の瞳に甘やかな色が加わり、頬に軽いキスを落とされる。
「緊張すんなとは言わねぇし、お前が無理だって言ったら途中でも止める。だから、嫌だと思ったら言えよ。今だけは無理に我慢したりすんな」
目を覗き込まれ、そんな風に言われて。
とくとくと速い鼓動が、更に切なさを増す。
愛おしい、というのはこういう感覚を言うのだろうかと思いながら、臨也は目を伏せて、こつんと額を合わせた。
「実際どうなるかは、やってみないと分かんないけどさ……誘ったのは俺の方だよ?」
最後までしたい、全部欲しい、とはさすがに口には出せない。けれど、口に出せる範囲では最大限の言葉を告げると、静雄は、ああ、とうなずいた。
そしてまた、唇を重ねられる。
甘く濃厚なそれを、臨也は静雄の首筋に腕を回して受け止め、自分も同じように返す。
随分と長く絡み合ってから、ゆっくりと唇が離れ、濡れた感触が首筋へと降りていっても嫌だとは感じなかった。頚動脈を辿るように、やわらかく唇と舌を這わせられて、ぞくぞくとした何かが背筋を駆け上る。
そうする間に、妙に器用な静雄の手は臨也のパジャマの前ボタンを外してしまい、首筋を伝い降りた唇が肩口に辿り着くのとほぼ同時に、パジャマの上はするりと両肩から落とされた。
エアコンは入っているから、春の夜であっても寒さは感じない。けれど、静雄の眼前に肌を晒すことに、どうしても背筋が微かに震える。
「──ちゃんと食べてるよ」
一旦離れて、まじまじと上半身を見つめる静雄が何か言いたそうにしたのを、機先を制することで封じた。
確かに骨格は細いし、肩幅も広いとは言えないが、これでも必要十分の筋肉は付いているのだ。肋骨は浮いていないし、腹筋だって薄く割れている。そうでなければ、パルクールなど習得できない。
ただ、筋肉が付きにくい体質であるのは事実だし、食もどちらかといえば細い。だが、臨也としては、自分のスレンダーな体型がそれなりに気に入っていたから、文句を付けられたくはなかった。
しかし、静雄は静雄で、それなりに感想はあったらしい。
小さく溜息をついて、左の鎖骨に上にキスを落とし、呟くように低く告げてくる。
「どっちかっつーと、呆れてんだよ、俺は。こんな細っせえ体で俺に喧嘩売ってくるような馬鹿は、世界中探したってお前だけだ。しかも、今年で九年目だぞ。普通の奴なら一度で懲りるのに、お前は一体何千回、同じ事繰り返してんだよ」
どんだけ馬鹿なんだ、と心底呆れたように言われて、仕方ないじゃん、と臨也は心の中で返す。
相容れない自分たちが関わり続けるには──静雄の目を自分の方に向けさせるには、それしかなかったのだ。
自分を見ようとしない静雄が大嫌いで、卑劣な罠を仕掛けて、静雄の怒り狂った目が一瞬、自分を見ればひどく満足して、けれど、そのわずかな時間が過ぎれば、また自分を見なくなる彼をまた嫌って、憎んで。
そんな歪んだ連鎖を延々、繰り返してきた。それがどんなに愚かなことだったのかは、臨也自身が一番分かっている。
けれど、どうしようもなかったのだ。それ以外の方法を知らなかった。
今こうしていられることの方が奇跡なのであって、この冬に静雄が臨也の想いに気付いてくれなかったら、この先も十年でも二十年でも、もしかしたら死ぬまで同じ事を繰り返し続けただろう。
そう思う間にも、静雄の温かな両腕が、ぎゅっと優しく臨也を抱き締める。
「──取り返しのつかねぇ怪我をさせずに済んで、良かった」
それは心底、ほっとした声だった。何かに心から感謝するような声だった。
その響きに、臨也の心は震える。
そして、その震える心でやっと終わったのだ、と思った。
自分を見てもらえないことに傷付き、歯噛みしながらナイフを向ける。そんな日々はもう、永遠に終わったのだ。
この温かな腕が自分を抱き締めてくれる限り、あんな苦い、焼けた鉄を飲み込むような思いは、二度と味わないで済む。
この先、自分たちが喧嘩することがあっても……必ずあるだろうが、だからといって、静雄はきっと目を逸らしたりはしない。臨也が何故、理不尽なことをしたのか、見極め、理解しようとしてくれるだろう。その上で、改めて怒るなり許すなり、判断してくれるに違いない。
そう信じられることは、臨也にとって何にも変え難い幸せだった。
「シズちゃん」
名前を呼び、ゆっくりと両腕を上げて広い背中を抱き締める。
静雄は身長とのバランスで細身に見えるが、こうして触れれば十分に逞しい体つきをしていることが分かる。筋肉だるまには程遠い、すっきりと引き締まった体ではあるが、胸の厚みも肩や二の腕の筋肉の盛り上がりも、細身の臨也に比べれば倍近い。
そして、その体が発している少し高めの体温が、低体温気味の臨也には心地良かった。
「自分から喧嘩売るのに、自分が怪我するような馬鹿な真似は、俺はしないよ。運動神経いいし、自他共に認める卑怯者だしね」
「……にしたって、無茶だろうが」
臨也の憎まれ口に、静雄は溜息をつき、それでも抱き締める腕の力を緩めて目と目を合わせ、キスをしてくる。
目を閉じてそれを受け止めながら、臨也は手探りで静雄の肩から胸元へと手を滑らせ、パジャマのボタンを探り当てた。
深みのある青のパジャマは、静雄の金髪や外回りでほんのりと日に焼けた肌によく映えて、見る度にこれを選んだ臨也の満足感を煽るのだが、しかし自分だけ脱がされるのは不公平というものだろう。
胸元を探る臨也の手の動きに当然、静雄も気付いているはずだったが、制されなかったから、臨也は遠慮なくキスを続けながら全てのボタンを外した。
そして、唇が離れたところで、至近距離から静雄を見つめたまま、両方の肩口にそれぞれ手を差し入れて、ゆっくりとパジャマを下に引き下ろす。そのまま手首にわだかまりかけた布地は、静雄がするりと手を抜いたことで大人しくシーツの上に落ちた。
臨也がすることを静雄は温かな瞳で面白げに見つめていて、臨也はその表情を少しだけ崩したくなる。
だからといって、ナイフを取り出して突き立てるわけにもゆかないから、代わりに静雄の首筋に、かぷ、と噛み付いて歯を立てた。
しかし、ナイフさえ刺さらない肌には、結構思い切り噛んだはずなのに、案の定、何の痕も残らない。
「……やっぱりナイフ突き刺してもいい?」
「いいわけねぇだろ」
面白くなくて提案してみれば、苦笑交じりの声で返される。
つまんない、と思いながらも、臨也はそっと静雄の肩に手を置き、肌の上に手のひらを滑らせてみた。
異常な回復力を持つ肉体は、肌にも傷一つなく、なめらかに筋肉を覆っている。臨也も体毛は薄い方だが、静雄もそうなのだろう。なめし皮のようにすべやかな感触を楽しみながら、ゆっくり手を下ろしてゆくと、やがて、手のひらにとくとくと脈打つ鼓動を感じた。
───シズちゃんの、心臓。
何度もナイフで狙ったことはあるし、ここ目掛けて刃を突き立てたこともある。
だが、鼓動に触れるのは初めてだった。
この手のひらの下に、心臓がある。──平和島静雄の、命がある。
その何とも言えない、体の深い部分で何かが打ち震えるような感覚に、そっと目線を上げると、静雄の目はまだ臨也を見つめていた。
無防備に心臓を臨也の手に預け、ひどく優しい目をしている。
それは、臨也が何をしようと自分は傷付かないというような傲慢な自信ではなく、全てを臨也に委ねているやわらかな表情だった。
「シズ、ちゃん」
「ん?」
手のひらに感じる鼓動は、幾分速いような気がする。普段の静雄の心拍数など知らないし、自分の鼓動も逸っているから、よくは分からないが、安静時よりは間違いなく速いだろう。
「緊張、してる?」
だから、そう尋ねると、静雄はふっと笑んだ。
「してねぇつったら嘘になるかもしれねえけど……どっちかつったら、興奮、してるかもな」
「……そう、なんだ」
さらりと言われると反応に困る。
急に、静雄に触れている自分の手が意識されて、どうしようかと臨也はひどく戸惑った。
ここで手を離すのも、なんだか意識してますと宣言するようだし、かといって、この手をこれ以上どこへ動かせばいいのかも分からない。
もっと触れてみたい気はするが、そうしてもいいのかどうか。
こんな風に戸惑うことは、初体験の時ですらなかった。その時は相手が年上の経験者だったこともあって、好奇心の赴くままに自由に振る舞えたのに、今はまるで物知らずな子供のような気分だった。
どうしよう、と思った時。
静雄の手が、ふっと動く。
「シズちゃ……」
長い指を持つ手が臨也の頬に触れ、するりと髪を梳き下ろしながら首筋に触れて、ゆっくりと頚動脈をなぞりながら、肩口へと滑り降りる。そして、温かな手のひらは更に下へ。
目と目を合わせたまま、ゆっくりゆっくりと下りてゆき、臨也の心臓の上で、そこを包み込むようにして止まる。
「……お前の鼓動も速ぇな」
当たり前だろ、と言おうとして唇が動かない。
皮膚と薄い筋肉とを挟んで、心臓に触れられている。
静雄なら素手でも、肉体を突き破ってこの心臓を潰せる。が、それに対する恐れではなく、自分の命の源に静雄の手が触れているという事実にこそ、臨也は身動きができなかった。
「臨也」
真っ直ぐに臨也を見つめて、静雄は名前を呼ぶ。
「好きだ」
互いの手は、互いの心臓の上にある。互いの鼓動を感じたままの告白。
それがどんな意味を持つのか。
分かるような分からないような、分かりたくないような分かりたいような、何とも受け止めかねる気分で、それでも臨也は、うなずく。
「──うん…」
こんなことで泣きたくなるなんて、本当にどうかしている。
そう思いながら、熱くなる目の奥をまぎらわせるためにニ、三度まばたきすると、静雄が顔を寄せて、こめかみに優しいキスを落とした。
そして、耳元に低い囁きが響く。
「臨也、向こう向いてくれ」
「え?」
「お前の背中も、見てみたい」
「───…」
なんで、と思ったものの、逆らうほどの要求ではない。だから、臨也は戸惑いつつも体の向きを変えて、静雄に背中を向ける。
「これでいい?」
「ああ」
背中など、体の正面以上に何もない。見て楽しいものでもないだろうと、眉をひそめるが、どうやら静雄の感想は違ったらしい。
「──綺麗だな…」
低く、零れ落ちたような呟きに、え、と思う間もなく、右の肩甲骨を包み込むように、そっと温かな手のひらが添えられる。
そして、首筋と背筋の境目にある、最も大きく尖った頚椎にやわらかな温もりを感じた。
キスされたのだと思ったと同時に、静雄の唇は離れ、そこからほんの少しだけ下に再びキスを落とされる。そして、また下へ。
脊椎を数えるように、一つ一つ小さな骨の尖りを唇に辿られる。やわらかな温もりが触れては離れてゆく。その繰り返しに、少しずつ臨也の中で何かが呼び覚まされてゆく。
個人差は多少あるだろうが、人の背中は下へ向かうほどに感覚は過敏になる。そこを上から順に優しく刺激されて、反応するなという方が無理だった。
六回目か七回目のキスに、とうとうびくりと背筋が震える。そうなってしまったら、もう止まれない。
雪達磨が坂道を転げ落ちるように、加速度的に肌感覚は鋭敏に研ぎ澄まされてゆく。
肌の上に感じる静雄の唇の熱、やわらかく肌を撫でる吐息。それに肩甲骨をなぞる指先が加わって、たまらずに臨也は静雄の名前を呼んだ。
「シ…ズちゃん……!」
だが、静雄の返事はなく、キスは背の半ば、十四番目か十五番目の脊椎に落とされて、臨也は思わず背をのけぞらせた。
それだけでもたまらないのに、肩甲骨をなぞり終えた指先が、今度は肋骨の背中側を辿り始める。一本一本数えるように細い骨に沿って過敏になった肌をなぞられ、臨也は耐え切れずに身をよじった。
しかし、いつの間にか静雄の左腕が、しっかりと腹部に回されていて逃げようにも逃げられない。それどころか、その左腕が触れている感触にさえ、過敏な肌は反応し始める。
「や…だ、やだっ……シズちゃん……っ!」
たかが背中や腹部の肌に触れられているだけで、特に酷いことをされているわけでもない。
なのに、そのゆるやかな愛撫にこれ以上ないほどに肌感覚を高められて、軽く吐息がかかるだけでもぞくぞくとした震えが背筋を駆け上り、全身に広がってゆく。
触れられた箇所から絶え間なく湧き上がる、甘く痺れるような感覚に神経を灼かれて、きつく閉じた眦(まなじり)に涙が滲んだ。
「や……、も、やだ…ぁ……っ」
こんな声が一体自分の喉のどこから出るのかと思うような、けれど、どうにも抑えられない甘やかにすすり泣くような声で懇願しても静雄は止まらず、キスを続ける唇は腰の窪みへと辿り着く。
ただでさえ神経の集まる過敏なそこに立て続けにキスを落とされ、軽く吸い上げられて、臨也は耐え切れずに高い声を上げた。
「──あ…! ふ…ぁ……、んっ!」
たかが肌にキスをされているだけなのに、目の奥に快感の白い火花が散る。
そして、腰骨の上まで全ての脊椎をようやく数え終えた静雄が唇を離すと、臨也はもう自分の体を支えきれず、そのまま背後の静雄の腕の中に崩れ落ちた。
「……お前、ちょっと敏感過ぎねえか?」
「そ…んなの、俺のせいじゃない……っ!」
上から顔を覗き込まれ、感心しているとも呆れているとも知れない口調で問われて、臨也は涙目のまま憤然として言い返す。
臨也自身も、今の今まで知らなかったのだ。背筋に触れられることがこんなに感じるということも、自分の体がひどく反応しやすいということも。
それも当たり前のことで、素人の若い女と後腐れなく遊んでいる程度では、こんな風に受身になることは殆どない。
だが、いいように翻弄されたことが悔しくて、臨也は未だに肌が空気にさえピリピリと反応するのを無理矢理に抑え込み、半身を起こして手を伸ばし、静雄に触れた。
「なんだ、シズちゃんだって反応してるじゃん」
好き勝手されたのだから遠慮などしてやるものかと、パジャマの上から直接中心に触れてやると、そこは明らかに反応している。
そして、顔を見上げると、静雄はほのかに羞恥の滲んだ顔で溜息をついた。
「そりゃ、あんな声聞いて反応しなきゃ不能だろ」
「……俺の声で反応するんだ、シズちゃん?」
「当たり前だろ。どっから出してやがるんだ、あんなエロい声」
「さあ?」
会話をする間にも、ゆっくり手のひらを上下させてやると、静雄の熱が反応してくるのが感じ取れる。
だが、それでも静雄は臨也に止めろとは言わなかったから、それなら、と臨也は本格的に身を起こして、体を反転させた。
「臨也」
臨也が何をしようとしているのか気付いたのだろう。少しだけ戸惑うように静雄が名前を呼んでくる。
しかし、それは聞き流して、臨也は静雄のパジャマのズボンに手をかけた。
「シズちゃん、腰上げて。っていうより、脱いで」
体重差を考えれば、脱がすより脱いでもらう方が絶対に楽だと思いついて、そう口にすると、静雄は何とも言えない複雑な顔をした後、臨也の要求に従った。
「おら、お前も脱げ。俺だけ素っ裸にさせてんじゃねぇよ」
「いいけど……でも、シズちゃんは今は触んないでよ。今度は俺が好き勝手する番なんだから」
「好き勝手ってなんだよ。そんなひでぇことしてねえだろうが」
「俺にとっては十分、嫌がらせレベルだったんですー」
皮肉な口調で羞恥を押し隠しながら、臨也もパジャマのズボンに手をかけて、下着ごと引き下ろす。ちまちま脱ぐよりは恥ずかしさが薄いだろうと思ったのだが、それでも、好きな相手の前で服を脱ぐのは、これ以上ないほどの勇気が要る行為だった。
裾から爪先を抜いて、ベッドの下に布地を落とす。
そして、息苦しいほどに高まっている鼓動をうるさく感じながら、思い切って顔を静雄の方に向ける。
「───…」
薄明かりの中で、静雄は臨也を見つめていた。
鋭い瞳は、凶暴さは湛えていない。だが、間違いなく肉食獣の目だった。
熱を帯びた瞳が、無防備な獲物を見つめている。
この体が極上の獲物に見えていればいいけれど、とそのまなざしに浮かされたようになりながら、臨也はゆっくりとベッドの上を移動して、静雄との間の距離を詰めた。
「シズちゃん……」
先程触れた時から分かっていたことだが、顕わになった静雄の中心は、完全に反応していた。
そのことに少しだけ安堵しながら、手を伸ばす。
そっと指先を先端近くに触れると、体のどの箇所よりも高い体温を感じて、体の奥がぞくりと震えた。
まずは、ゆっくりと指先で輪郭をなぞり、全体の大きさを自分の手で確かめる。体格に見合ったサイズで、標準以上ではあるが格別に巨大というほどでもない。それでも、これが本当に入るのかな、という疑問が頭を掠める。
だが、考えても仕方のないことだと、臨也はゆっくりと愛撫を始めた。
「どこが気持ちいいの、シズちゃん……?」
誰でも弱い箇所というのはあるが、結局のところは、感じる箇所は人それぞれだ。静雄のそれを知りたいと、顔を見つめたまま全体をくまなく指先でなぞる。
「ここ……?」
静雄の表情が動いた場所を、一つ一つ確かめるように指の腹や爪の背で擦ると、静雄は熱の混じった溜息をつき、うなずいた。
「そこ、すげぇいい」
「そう」
良かった、と臨也は少しずつ愛撫を強める。人間離れした静雄の肉体なら、多少強めの方が良いのではないかと思ったのだが、それは正解だったらしい。指にある程度力を入れたところで、手の中の熱がびくりと反応した。
これくらいが好きなのかと納得して、更に弄り回していると、やがて先端に透明な液が滲み始める。
「おい、臨也」
「何?」
「あんまりされると、俺ももたねぇんだけど」
「いいよ、出しても。一晩に二回くらい、若いんだから平気でしょ」
生身の人間である以上、一日に生産される精液は微量であり、当然ながら射出回数には限界がある。だが、多少の間を置けば回復するのが若さというものだ。そう思いながら問いかけると、静雄も否定はしなかった。
「まぁな。お前がいいんなら……」
それでもいいけどよ、と順応する答えに、臨也は小さく口元に笑みを刻む。
好き勝手に翻弄するとまではゆかない。けれど、ある程度は自分が主導権を握ることができているのが嬉しい。
そう思いながら静雄の顔を見ると、軽くまなざしを伏せた目元が少しだけ赤らみ、引き結ばれた唇から時折、熱を帯びた吐息が零れる。たまらなくなり、臨也は手を止めないまま唇を重ねた。
触れるだけで離れると、至近距離で目が合う。
「──ンだよ……」
気だるげに問いかけられて、臨也は悪戯に微笑んだ。
「シズちゃんの感じてる顔、結構くるなぁと思って」
「……ヤる方が良くなったか?」
「んー、それはないんだけどね」
好きな相手の表情に欲情するのと、抱きたくなるのとは少し別だ。男としてどうかしているのかもしれないが、臨也としては肉食獣の目をした静雄に喰われたいと思う気持ちが強い。
この化け物をほんの少しでも翻弄できるのは嬉しいが、だからといって、喰らいたいかというと、そうではないのである。
だが、この心理は静雄には理解できないだろうと、言葉で説明するのは止めて、再び愛撫に専念する。
「ここ、気持ちいい?」
「……ああ」
雁首の裏のくびれた部分を丁寧に擦りながら問いかけると、わずかに息を乱しながらの素直な返事が返る。
それに満足しつつ、もっと恥ずかしがってくれても楽しいのに、と思った時。
───どうして、シズちゃんは動じない?
自分達がこんな風に戯れるのは、今夜が初めてなのに。
そう気付いて。
突然、臨也は、頭から冷や水をかけられたような気分になった。
───ああ、そうだ。
───シズちゃんが俺に見られても触られても平然としてるのは……。
「──臨也?」
「あ、ううん。何にも」
思わず手が止まってしまい、不審に思ったのだろう静雄に名を呼ばれて我に返った臨也は、反射的にいつもの笑みを口元に浮かべる。
そして、再びゆっくりと手指を動かしながら、今気付いたことを脳裏で反芻した。
普通なら、恋人と初めてのSEXをする時は、男でもそれなりに緊張するし、恥ずかしさも感じるものだ。だが、静雄は緊張は少ししていると言ったが、臨也が何をしようと、さほど恥ずかしがるでもなく受け入れている。
つまりそれは、それだけ静雄がこういう愛撫に慣れている、ということだった。
考えてみれば当然のことだろう。その気のない男を押し倒した女が、まずするのは、男をその気にさせる直接的な愛撫だ。
とりわけ水商売や風俗の女性の注目を集めてきた静雄は、SEXそのものの回数はさほどでないとしても、彼女たちの男を翻弄するテクニックは十分過ぎる程に受けた経験があるのに違いない。
だから、臨也の愛撫もそれなりに余裕を持って受け止められる。
その構図を理解した途端、臨也の胸の内は、冷たく暗い何かに塗り潰された。
───シズちゃん。
───俺の……俺だけの、大事な、大好きなシズちゃん。
これまで静雄の過去を気にしたことはなかった。
嫌いだと自分に言い聞かせていた頃はともかく、両想いになってからは全くの腹立たしさがなかったといえば嘘になるが、過ぎたことではあるし、今は自分を見てくれているのだから、それで十分に満足できていた。
逆の言い方をすれば、これまでこの件について、考えるだけの余裕もなかったとも言える。
静雄と付き合い始めてからこの二ヶ月余り、臨也は本当に夢中だった。
朝から晩まで静雄のことを考え、メールを待ちわび、会って話をするだけで嬉しかった。本当に馬鹿みたいに一生懸命、恋をしていたのだ。
だから、気付かなかったし、忘れていた。今夜だって、自分から話題にしたのに、その時には何の気にもならなかったのだ。
そして今も、どうして自分がこんなにショックを受けているのか分からない。
分からないけれど、ひどく胸が痛む。心が冷たく冷える。
それは嫉妬というよりも、悲しさに近かった。
静雄に対するものではない。むしろ、自分に対するものだ。
自分がここまで捻くれた性格をしていなければ、多分、もっと早く静雄は自分を見てくれただろうし、もしかしたら、もっと早く愛していてくれたかもしれない。
だが、全てをぶち壊しにしてきたのは自分だった。だから、恨むなら自分自身しかない。
けれど、悲しい。悔しい。その思いは、臨也自身の心を抉るだけでは済まず、静雄の上を通り過ぎていった女達にまで向かう。
───ねえ、俺だってずっと、シズちゃんに愛されたかったんだよ。
もっとも、彼女達のように体だけでいいとは一度も思わなかった。思いついていたら、嫌がらせを兼ねて、どこかで実行していたかもしれない。
だが、攻撃する以外の方法を思いつかないほど、臨也は静雄に対する感情に雁字搦めになっていた。そして事実、欲しいのは体だけではなく、平和島静雄という存在全てだった。
だから。
静雄を極上の獲物のように付け狙う女達に、先を越された。
───ああ、そうだ。
自分が静雄の最初の恋人だということは分かっている。でも、体でだって、一番最初に愛されたかった。
それが叶わなかったことが今更ながらにショックで、悲しいし、悔しい。
自分にだって不誠実な過去はあるのだから、どうしようもなく身勝手な想いだということは分かっている。
誰も悪くない。自分が馬鹿だっただけだ。
けれど。
「シズちゃん……」
そっと名前を囁いて、臨也は手の中の熱に唇を近づける。
「お…い、臨也……っ!?」
慌てたような静雄の声が聞こえたが、構わずに濡れた先端にそっと口接け、舌を這わせた。先走りの液には色も匂いもない。ただ汗に似た塩気だけが舌を甘く刺す。
そして、つるりとなめらかな薄い皮膚の感触と、唇に感じる熱さが、臨也の胸に満ちる悲しさを少しだけ慰めた。
「ん……、ふ…っ…」
手の愛撫なら要領は分かっても、口唇での愛撫の要領は今一つ、分からない。それでも、自分自身も受けた経験は過去にあるし、静雄の感じやすい場所はもう殆ど分かっている。それを頼りにひたすらに舌を這わせ、唇で丁寧に甘噛みする。
テクニックでは当然、彼女達に及ぶはずがない。けれど、彼女達が静雄に対してしたことを自分が出来ないのは嫌だった。
「臨也」
戸惑うように静雄が名を呼ぶのを聞き流しながら、裏筋を辿って舐め上げ、先端をくるりと愛撫してから、鈴口をやわらかく舌先でくじる。
そして唇を開き、一息に奥まで滑り込ませて、圧迫されて動かしにくくなった舌を懸命に這わせながら、ゆっくりとストロークを開始する。
その時。
「止めろ、臨也!」
鋭い静雄の声と共に両肩を掴まれ、強引に熱から引き離されて顔を上げさせられる。
何をするのか、と見上げた静雄の表情は、愛戯の最中だとは思えないほどに険しかった。
だが、鋭い瞳に浮かんでいるのは、怒りではない。
むしろ傷付いたような光を見つけて、どうして、と思った時。
「お前、今、何考えてた……?」
低く、本当に傷付いた声で問われて。
臨也は答えるべき声を失った。
to be contineud...
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