RAINY CITY  06

「手前、何か勘違いしてねぇか」
「……何が」
「一体、俺のどこに普通があるっつーんだよ。あるっていうんなら、それを教えてくれ」
「え、……」
「手前の言う普通ってのは、たとえば一緒に飯を食いに行ったり、どうでもいいことでメールや電話をしたりすることなのか? だったら、俺がそんなことをするのは幽か、トムさんくらいのもんだ。でも幽は家族だし、トムさんも世話になってる先輩で、俺にとっては『特別』で、普通でも何でもねえ」
 そこまで言って、静雄は顔を上げる。
 鳶色の瞳が、肉食獣か猛禽類の鋭さで臨也を捉えた。
「俺には普通なんて、一つもありゃしねえ。ダチなんざ、居たためしがねぇし、この力を自覚してからは、誰かの家に遊びに行ったこともねえ。やっとこの歳になって、トムさんと夜通し飲んだりとかの馬鹿ができるようになったところだ」
 正面から射すくめられて、臨也は身動き一つできないまま、静雄の言葉を聞く。
「俺にとっちゃ、手前の言う『普通』が『特別』なんだよ。俺がどれだけ『普通』を欲しがってるか……、一番知ってんのは手前じゃねえのか、臨也」
 言葉が出なかった。
 反論したいのに、何かを言いたいのに、何も思いつかない。
 『特別』と、『普通』。
 当たり前の言葉の意味が、静雄の中では逆転している。
 静雄の言う通り、臨也はそれをよく承知していたはずだった。シズちゃんの中には普通なんて一つもありゃしない。常々、そう公言していたのは自分だった、のに。
 ぐっと口を閉ざし、押し黙る臨也をしばらく眺めていた静雄は、溜息未満の息を小さく吐き出して、臨也に手を伸ばした。
 反射的に臨也は身を引きかけるが、静雄の手はそれを許さずに追いかけ、先程と同じように大きな手のひらが臨也の髪を、ゆるゆると掻き混ぜる。
「──分かるか?」
「……何が?」
「こんな風に誰かに触ることなんて、俺には滅多にねえことなんだよ。最近はガキが周囲をちょろちょろするようになったから、以前よりは回数が増えてきたけどな。でも、まだ『普通』じゃねえ」
「…………」
「お前はいつも、俺だけは違うって言うよな。人間じゃねえって。つまりそれは、お前の中で俺だけは他の人間と違うってことだ。でも、俺にとってのお前はそうじゃない。喧嘩を売ってくる人間の一人で、嫌いな奴の筆頭ってだけで、『特別』じゃない。少なくとも、昨日まではそうだった。──昨夜のお前の言葉は、それが嫌だってことじゃないのかよ」

 何をしても届かず、自分ばかりが傷付き、苦しんで。
 それが悔しくて、悔しくて。
 憎しみを込めてナイフを振るっても、薄皮一枚を傷つけるだけで。
 どうやっても、『特別』にはなれない。
 自分は──寝ても覚めても、彼のことばかり考えているのに。
 彼はそうではない。
 それがただ、悔しくて。
 悔しくて───…。

「もしそうだって言うんなら、お前はやり方を間違えてんだよ。ナイフで俺に切りつけてくる奴は、数え切れないくらいいる。拳銃で撃ってきた奴まで居るのに、そいつらと同じやり方で、どうして俺の特別になれるっつーんだよ? まあ、お前くらいしつこい奴は、他にいねぇけどな」
 言いながら、静雄は止まっていた右手をやわらかく動かして、もう一度、臨也の髪を撫でた。
「なぁ臨也。俺の気を惹きたいんなら、お前の言う『普通』のことをしてみろよ。うわべだけの演技じゃなくてだぜ? そうしたら俺は、多分、必死になってお前を見るからよ」
「そんな、こと──…」
「お前が俺に『普通』をくれるんなら、俺はきっと、お前のことばかり考える。ダチなんて一度も居なかったからな。つまんねえことでメールして、飯食いにいったり、飲みに行ったり……。そうでもなきゃ、俺はお前のことなんか考えねえ。思い出したって、気分が悪くなってそこいらの物をぶっ壊すだけだからな」
 ───それは悪魔の誘惑だった。
 よりによって、平和島静雄が、折原臨也に、普通になれ、という。
 普通に接すれば、それはすなわち、彼にとっての特別なのだと。
 だが、そんなことは不可能だ。
 臨也は普通など欲したことは一度もない。むしろ、日常の中に生じる普通を極力切り捨てて、これまで生きてきた。
 『普通』など、一番縁遠い言葉だ。もしかしたら、静雄と同じくらいに。
 なのに、その忌避すべき『普通』をもって接しなければ、臨也のことなど見もしない、考えもしないと静雄は言うのだ。
「普通、なんて……できるわけないだろ」
 言う端から体が震えそうになり、臨也は静雄に気付かれないよう、布団についた手をさりげなく、ぐっと握り締める。
「君が普通じゃないのに、どうして普通になんか接することができるんだよ。忘れてるんじゃないの? 俺は君が大嫌いなんだよ。絶対に、君に対するのに普通なんて在り得ない!」
「じゃあ、この話はこれまでだな。言っとくが、俺が今のままの手前を特別に見ることなんざ、絶対にねぇからな」
 胸糞が悪いのは同じなのだと、静雄が突き放す。
 突き放されて、臨也の体は今度こそ、隠しようもなく震えた。
 心臓が嫌な鼓動を響かせ、重く苦い何かが体の芯からこみ上げる。
 卑怯だ、と思った。
 静雄が告げたのは妥協でも折衷案でも、何でもない。不可能な条件を突きつけて、それが呑めなければ終わりという最後通牒だ。
 こんな酷い扱いを他人から受けたことはなかった。
 いつでも、最後通牒を突きつけ、崖っぷちから突き落とすのは自分の役回りだったのに。
「ずるいよ、シズちゃん」
 苦く歪んだ声で、吐き捨てる。
「その条件じゃ、君は何もなくさないじゃないか。俺には『普通』になれなんて、無理難題を突きつけておいて」
「普通じゃねーよ。特別になりたいんなら、してやるつってんだ。手前の態度次第だけどな」
「何、その上から目線。一体何様だよ?」
「つーより、そもそも手前の中に『普通』なんかあるのか? 手前だって全然、普通じゃねえだろ。普通にすんのは、手前にとっても特別じゃねえのかよ」
「何それ、勝手に……」
「手前が普通に話すんのは……妹たちと、門田と……。他に誰かいるか?」
 指折り数えた静雄の手は、三本の指を折ったところで止まってしまう。
 そして、悔しいことに、それ以上指を折らせる人名を臨也は持っていなかった。
 信者のような協力者も、利用すべき相手も大勢いる。だが、自分が素で話をするのは、静雄が今挙げた三人しかいない。新羅でさえ、そこには含まれない。
「……だからって、どうして化け物の君をそこに加えなきゃならないのさ」
「俺が加えてくれって言ってるわけじゃねえ。俺はどっちでもいいんだ。選ぶのは手前だって、さっきから何度言わせる?」
 機嫌が下降しつつあること示す低まった声で、静雄は臨也に選択肢を突きつける。だが、こんな取引は在り得ない、と臨也はぐっと奥歯を噛み締めて、布団の上の拳を握り締めた。
 選ぶのは、自分の役回りではない。
 いつでも、自分が他人に選ばせてきたのだ。自分が選ぶのはターゲットと、その遊び方のみ。それ以上は常に、駒が選択するべきなのだ。
 なのに静雄は、臨也が選んだカードに従って動いてやるという。
 受身なようで、なんという傲慢か。
「シズちゃんのそういうとこ、大っ嫌いだよ。自分がどんなに傲慢か、全然分かってないだろ」
「あ"ぁ!?」
 キレかけたらしい静雄の声を聞きながら、臨也は顔を上げ、静雄を正面から睨みつけた。

 

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